記事へ戻る 中庸左派さん のコメント 中庸左派 率直にいうと、私は「改革」というコトバにウンザリしている感がある。 例えば、大阪維新の会といえば「大阪都構想」であった。「改革」ブームに乗って、「維新」の真新しさを喧伝する看板政策であった。 しかし、私はこの「大阪都」構想を噴飯物のインチキ改革と見なしていた。何故なら、中身が地方分権に逆行する大阪「府」(都)の権限強化=「中央集権」化でしかなかったからである。 具体的に言うと、大阪市を廃止して、「大阪都」の下に「特別区」を設置するという考え方は、東京23区をモデルにしているわけだが、東京都特別区というのは、権限の弱い、謂わば半人前の自治体である。別の言い方をするなら、特別区は「基礎自治体」ではない。東京都の下部組織のような位置付である。財源も普通の基礎自治体なら有する基幹財源である固定資産税を、特別区は持たない。このため、東京都が例外的に固定資産税を徴収し、それを特別区に分配する形がとられている。つまり、税財源も東京都による統制のもとにあり、自由な行政運営が制約されている。それが特別区制度である。 要は、「都」が手綱を握る集権的仕組みだ。当然、地方分権には逆行する。 だから、東京23区は市町村のような基礎自治体の本来の権限と財源を持てるよう、「格上げ」してくれ、とずっと政府に要望してきた経過がある。 にも関わらず、そんな都構想を、「改革」の名の下に喧伝する「維新」を呆れてみていた。 「改革」の中身を問わずして、「改革」というコトバだけが独り歩きする。中身のない「改革」狂想曲。それが、私の「改革」観である。 大阪都構想に関して言うなら、二度の住民投票が否決され、都構想が潰えたのは住民の見識の勝利だと考えている。 しかし、未だに「改革」を僭称して、その実、時代遅れの新自由主義を日本に移植しようと躍起になっている「維新」は、むしろ政治勢力として勢いを増している。 こうなると、有権者が未だに、中身のない「改革」幻想から覚めていないのか、と個人的にはウンザリ感が増すばかりである。 個人的には、改革は必要なく、「選択」が必要なのだ、と考えている。 即ち、現状のような「中福祉低負担」国家から、「高福祉高負担」の国家、即ち北欧型の自由競争や自己責任を抑制した社会民主主義国家を選択するか、どうか。 私は税財源による、新自由主義とは一線を画す「高負担高負担」国家を理想とするものである。 また、外交的にはアメリカ帝国の属国ではなく、多極世界に対応した平和国家の選択肢があるはずだと考えている。従って、私としては防衛増税も反撃能力も選択肢としてあってはならない、と考えている。 勿論、基本的には今回の詠み人の見解を支持する。 しかし、個人的には、私は自らの理想と多数派日本人の選択の間にかなりミゾがあると実感しており、多数派形成という観点からは、敗北に敗北を重ねてきた。その過程で、私は多数派日本人(B層?)の政治的指向性や「改革」観に不信感を募らせてきた。 従って、多数派日本人自らの「改革」は全く信用できない、ということが正直なところである。 以上の理由から、 >今、日本でもっとも切実に問われていること、それは、何よりも米覇権崩壊の現実を直視すること という論点に関しては、進行中の「米覇権崩壊」を座して待つ。即ち、アメリカ帝国の自滅を、あくまで受動的に受け止める形で大波に飲み込まれた結果、日本は変わらざるを得なくなる、というシナリオで良いのではないか、と考えている。 なまじ中身のない多数派日本人の「改革」幻想より、アメリカ帝国の自滅のほうが、現実的ではないか?実際、アメリカ帝国のドル基軸通貨性崩壊、金融崩壊、財政破綻、ウクライナ敗北、中東におけるアメリカ帝国パッシングなど、アメリカ帝国自滅の兆候は多数見て取れる。 アメリカ帝国が自滅すれば、日本は変わらざるを得ないのだから。 No.9 19ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 読み人知らず「先の統一地方選挙から分かった事、それは地方地域住民の「改革」への要求の切... 孫崎享のつぶやき 元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。 » このブロマガへ
中庸左派 率直にいうと、私は「改革」というコトバにウンザリしている感がある。 例えば、大阪維新の会といえば「大阪都構想」であった。「改革」ブームに乗って、「維新」の真新しさを喧伝する看板政策であった。 しかし、私はこの「大阪都」構想を噴飯物のインチキ改革と見なしていた。何故なら、中身が地方分権に逆行する大阪「府」(都)の権限強化=「中央集権」化でしかなかったからである。 具体的に言うと、大阪市を廃止して、「大阪都」の下に「特別区」を設置するという考え方は、東京23区をモデルにしているわけだが、東京都特別区というのは、権限の弱い、謂わば半人前の自治体である。別の言い方をするなら、特別区は「基礎自治体」ではない。東京都の下部組織のような位置付である。財源も普通の基礎自治体なら有する基幹財源である固定資産税を、特別区は持たない。このため、東京都が例外的に固定資産税を徴収し、それを特別区に分配する形がとられている。つまり、税財源も東京都による統制のもとにあり、自由な行政運営が制約されている。それが特別区制度である。 要は、「都」が手綱を握る集権的仕組みだ。当然、地方分権には逆行する。 だから、東京23区は市町村のような基礎自治体の本来の権限と財源を持てるよう、「格上げ」してくれ、とずっと政府に要望してきた経過がある。 にも関わらず、そんな都構想を、「改革」の名の下に喧伝する「維新」を呆れてみていた。 「改革」の中身を問わずして、「改革」というコトバだけが独り歩きする。中身のない「改革」狂想曲。それが、私の「改革」観である。 大阪都構想に関して言うなら、二度の住民投票が否決され、都構想が潰えたのは住民の見識の勝利だと考えている。 しかし、未だに「改革」を僭称して、その実、時代遅れの新自由主義を日本に移植しようと躍起になっている「維新」は、むしろ政治勢力として勢いを増している。 こうなると、有権者が未だに、中身のない「改革」幻想から覚めていないのか、と個人的にはウンザリ感が増すばかりである。 個人的には、改革は必要なく、「選択」が必要なのだ、と考えている。 即ち、現状のような「中福祉低負担」国家から、「高福祉高負担」の国家、即ち北欧型の自由競争や自己責任を抑制した社会民主主義国家を選択するか、どうか。 私は税財源による、新自由主義とは一線を画す「高負担高負担」国家を理想とするものである。 また、外交的にはアメリカ帝国の属国ではなく、多極世界に対応した平和国家の選択肢があるはずだと考えている。従って、私としては防衛増税も反撃能力も選択肢としてあってはならない、と考えている。 勿論、基本的には今回の詠み人の見解を支持する。 しかし、個人的には、私は自らの理想と多数派日本人の選択の間にかなりミゾがあると実感しており、多数派形成という観点からは、敗北に敗北を重ねてきた。その過程で、私は多数派日本人(B層?)の政治的指向性や「改革」観に不信感を募らせてきた。 従って、多数派日本人自らの「改革」は全く信用できない、ということが正直なところである。 以上の理由から、 >今、日本でもっとも切実に問われていること、それは、何よりも米覇権崩壊の現実を直視すること という論点に関しては、進行中の「米覇権崩壊」を座して待つ。即ち、アメリカ帝国の自滅を、あくまで受動的に受け止める形で大波に飲み込まれた結果、日本は変わらざるを得なくなる、というシナリオで良いのではないか、と考えている。 なまじ中身のない多数派日本人の「改革」幻想より、アメリカ帝国の自滅のほうが、現実的ではないか?実際、アメリカ帝国のドル基軸通貨性崩壊、金融崩壊、財政破綻、ウクライナ敗北、中東におけるアメリカ帝国パッシングなど、アメリカ帝国自滅の兆候は多数見て取れる。 アメリカ帝国が自滅すれば、日本は変わらざるを得ないのだから。 No.9 19ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 読み人知らず「先の統一地方選挙から分かった事、それは地方地域住民の「改革」への要求の切... 孫崎享のつぶやき 元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。 » このブロマガへ
例えば、大阪維新の会といえば「大阪都構想」であった。「改革」ブームに乗って、「維新」の真新しさを喧伝する看板政策であった。
しかし、私はこの「大阪都」構想を噴飯物のインチキ改革と見なしていた。何故なら、中身が地方分権に逆行する大阪「府」(都)の権限強化=「中央集権」化でしかなかったからである。
具体的に言うと、大阪市を廃止して、「大阪都」の下に「特別区」を設置するという考え方は、東京23区をモデルにしているわけだが、東京都特別区というのは、権限の弱い、謂わば半人前の自治体である。別の言い方をするなら、特別区は「基礎自治体」ではない。東京都の下部組織のような位置付である。財源も普通の基礎自治体なら有する基幹財源である固定資産税を、特別区は持たない。このため、東京都が例外的に固定資産税を徴収し、それを特別区に分配する形がとられている。つまり、税財源も東京都による統制のもとにあり、自由な行政運営が制約されている。それが特別区制度である。
要は、「都」が手綱を握る集権的仕組みだ。当然、地方分権には逆行する。
だから、東京23区は市町村のような基礎自治体の本来の権限と財源を持てるよう、「格上げ」してくれ、とずっと政府に要望してきた経過がある。
にも関わらず、そんな都構想を、「改革」の名の下に喧伝する「維新」を呆れてみていた。
「改革」の中身を問わずして、「改革」というコトバだけが独り歩きする。中身のない「改革」狂想曲。それが、私の「改革」観である。
大阪都構想に関して言うなら、二度の住民投票が否決され、都構想が潰えたのは住民の見識の勝利だと考えている。
しかし、未だに「改革」を僭称して、その実、時代遅れの新自由主義を日本に移植しようと躍起になっている「維新」は、むしろ政治勢力として勢いを増している。
こうなると、有権者が未だに、中身のない「改革」幻想から覚めていないのか、と個人的にはウンザリ感が増すばかりである。
個人的には、改革は必要なく、「選択」が必要なのだ、と考えている。
即ち、現状のような「中福祉低負担」国家から、「高福祉高負担」の国家、即ち北欧型の自由競争や自己責任を抑制した社会民主主義国家を選択するか、どうか。
私は税財源による、新自由主義とは一線を画す「高負担高負担」国家を理想とするものである。
また、外交的にはアメリカ帝国の属国ではなく、多極世界に対応した平和国家の選択肢があるはずだと考えている。従って、私としては防衛増税も反撃能力も選択肢としてあってはならない、と考えている。
勿論、基本的には今回の詠み人の見解を支持する。
しかし、個人的には、私は自らの理想と多数派日本人の選択の間にかなりミゾがあると実感しており、多数派形成という観点からは、敗北に敗北を重ねてきた。その過程で、私は多数派日本人(B層?)の政治的指向性や「改革」観に不信感を募らせてきた。
従って、多数派日本人自らの「改革」は全く信用できない、ということが正直なところである。
以上の理由から、
>今、日本でもっとも切実に問われていること、それは、何よりも米覇権崩壊の現実を直視すること
という論点に関しては、進行中の「米覇権崩壊」を座して待つ。即ち、アメリカ帝国の自滅を、あくまで受動的に受け止める形で大波に飲み込まれた結果、日本は変わらざるを得なくなる、というシナリオで良いのではないか、と考えている。
なまじ中身のない多数派日本人の「改革」幻想より、アメリカ帝国の自滅のほうが、現実的ではないか?実際、アメリカ帝国のドル基軸通貨性崩壊、金融崩壊、財政破綻、ウクライナ敗北、中東におけるアメリカ帝国パッシングなど、アメリカ帝国自滅の兆候は多数見て取れる。
アメリカ帝国が自滅すれば、日本は変わらざるを得ないのだから。
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