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フレデイ タンさん のコメント

伊達判決が日本国憲法の分身として屹立していることを前面に押し出さねばならないことは日本人にとって当然なのですが、主権も米国によって放棄させられている日本では絵にかいた餅程度の扱いになってしまうのは残念だが仕方ありません。従って、日本は法治国家でないし、民主主義国家ではないのです。

ところが、極東の状況がこの4,5年で劇的に変化しつつあり、戦争が起こりにくくなってきました。その背景は次の2つでしょうか。
1.中国とロシアの経済力と軍事力が米国のそれらを圧倒し始め、米国は中国やロシアに軍事的にも経済的にも手を出せなくなっているのです。これから先更にそのギャップは拡大し、在日米軍基地はコスト高に耐えきれず、撤退を余儀なくされていくでしょう。
2.自民党の私利私欲に基づく政治・行政の腐敗は財政上の深刻な問題を引き起こしつつあり、軍国日本の成立は不可能となり、自衛隊の縮小も俎上に乗ることになりましょう。

今後は、ほっておいても、現行憲法が生き生きと輝くことになるのです。日本人は第二次大戦の英霊が現行憲法を贈呈したと改めて再確認し世界から畏敬されることになりましょう。
No.16
18ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
伊達判決 1:背景 砂川事件は、東京都北多摩郡砂川町(現・立川市)付近にあった在日米軍立川飛行場の拡張を巡る闘争(砂川闘争)における一連の訴訟である。特に、 1957 年(昭和 32 年) 7 月 8 日に特別調達庁東京調達局が強制測量をした際に、基地拡張に反対するデモ隊の一部が、アメリカ軍基地の立ち入り禁止の境界柵を壊し、基地内に数メートル立ち入ったとして、デモ隊のうち 7 名が日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(現在の地位協定の前身)違反で起訴された事件を指す。 当時の住民や一般人の間では主に「砂川紛争」と呼ばれている。全学連も参加し、その後の安保闘争、全共闘運動のさきがけとなった学生運動の原点となった事件である。 第一審 東京地方裁判所(裁判長判事・伊達秋雄)は、 1959 年(昭和 34 年) 3 月 30 日、「日本政府がアメリカ軍の駐留を許容したのは、指揮権の有無、出動義務の有無に関わらず、日本
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。