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りゃんさん のコメント

>>23
別に博学ぶりをどうのというつもりはありません。
疑問におもいませんか? なぜか、9条についての議論では、「素直に読めば」とかの解釈論がやたらと強調されることが。あんまり素直そうじゃないひとほど、なぜかそう言うことを。
わたしはたぶん小学校6年生のころからずっと疑問だったのですが、大学で憲法をかじってその疑問が解けたとおもったときは、そうとう嬉しかったですね。

中共との戦争などしてはなりませんよ。わたしが(異論があるひとは多いでしょうが)露宇戦争の帰趨にかかわらず、ロシアは衰退するとよく書いていることをおもいだしてください。ロシアは戦争すべきではなかったと考えています(おそくとも、戦争はじめた最初の1週間強で、簡単にはいかないと理解できた時点でロシア側から即座に停戦すべきだった)。
もし中共と米日等とが本気の戦争すれば、双方とも衰退するとおもっています。そのことをよく中共に理解してもらわなければなりません。軍備も経済政策もその一環です。
No.26
18ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
伊達判決 1:背景 砂川事件は、東京都北多摩郡砂川町(現・立川市)付近にあった在日米軍立川飛行場の拡張を巡る闘争(砂川闘争)における一連の訴訟である。特に、 1957 年(昭和 32 年) 7 月 8 日に特別調達庁東京調達局が強制測量をした際に、基地拡張に反対するデモ隊の一部が、アメリカ軍基地の立ち入り禁止の境界柵を壊し、基地内に数メートル立ち入ったとして、デモ隊のうち 7 名が日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(現在の地位協定の前身)違反で起訴された事件を指す。 当時の住民や一般人の間では主に「砂川紛争」と呼ばれている。全学連も参加し、その後の安保闘争、全共闘運動のさきがけとなった学生運動の原点となった事件である。 第一審 東京地方裁判所(裁判長判事・伊達秋雄)は、 1959 年(昭和 34 年) 3 月 30 日、「日本政府がアメリカ軍の駐留を許容したのは、指揮権の有無、出動義務の有無に関わらず、日本
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。