記事へ戻る 中庸左派さん のコメント 中庸左派 砂川事件における伊達判決を覆した最高裁判決の理論を法学の世界では一般に「統治行為論」というわけだが、しかつめらしいネーミングだか、簡単に言えば、裁判所の「逃げの一手」である。 高度な政治案件なのだから、最高裁判所としては判断しません、と。 「統治行為論とは、高度な政治性を帯びた国家行為には司法審査は及ばないとする考え方をいいます。「統治行為」とは、極めて政治色の濃い国家行為の意味で、そこに裁判所がかかわって憲法審査はしませんということ」 https://kenpou-jp.norio-de.com/touchikouiron/ しかし、裁判所として、高度な政治案件を盾に判断しない、というのはおかしなハナシだ。 下級審が判断しているではないか。伊達判決はチャンと判示したではないか。 ということで、この「統治行為論」は、法的根拠無しの単なる裁判所の裁量に過ぎない。 裁判所がやる「超法規的措置」みたいなものであろう。 しかし、この砂川事件では、あろうことか、実質的当事者であるアメリカ帝国側代表者と、田中最高裁長官がグルになっていたわけだ。 呆れ返る。 「開示された資料によれば、司法権の最高機関である最高裁長官自らが、アメリカ側と接触を図り、担当する事件の審理の見通しだけでなく、判決の方向性についても情報を漏らしていたことが明らかになった。 このことから、当時の最高裁は、日米安保条約改定交渉を行っていた日本政府、アメリカ合衆国政府の政治部門の政治的意向に従った審理、判断を行っていた可能性が極めて高く、最高裁長官自らが司法の独立を放棄する行動をとっていたことに驚きを禁じ得ない。 かかる事態は、司法の独立を揺るがす重大な事態であるにとどまらず、国家としての対外的独立性に疑念を生じさせるものと言わざるを得ない。」 http://www.seihokyo.jp/seimei/2013/130516-gichou.html 他にも、政治案件的訴訟は多々ある。三権分立とのお題目は画餅もよいところではないか? よく、日本の主流権威筋メディアからは、民主主義対専制政治みたいなフレーズを聞くが、こんな非民主的なことがまかり通る日米の政治を、よく民主主義陣営だの、自由主観陣営だの、胸を貼ることができるものだ、とつくづく思う。 自国民の訴えや反対意見より、アメリカ帝国の都合を優先するのだから、民主主義もなにもあったものではない。 日本を民主主義国だと、錯覚することも、僭称することも、日本人の多くが「B層」である傍証に思える。 非民主的な現実を見ずに、デマゴーグアメリカ帝国に追従するだけやの政府、そのことになんの疑問も持たない多数派B層が烏合の衆と化した日本。 これはまさに衆愚政治である。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%86%E6%84%9A%E6%94%BF%E6%B2%BB#:~:text=%E8%A1%86%E6%84%9A%E6%94%BF%E6%B2%BB%EF%BC%88%E3%81%97%E3%82%85%E3%81%86%E3%81%90%E3%81%9B%E3%81%84%E3%81%98,%E3%81%BC%E3%81%86%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%9B%E3%81%84%E3%81%98%EF%BC%89%E3%81%A8%E3%82%82%E5%91%BC%E3%81%B0%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82 「在日米軍は出ていくべきだ、主張する人はいる。米軍の行動(基地拡大等)に身を張り戦う人は沖縄などにいる。有罪になる人、若干いる。だがその裁判を不当と60年以上全人生をかけて戦った人はほぼいない。土屋源太郎。体よぼよぼ眼不自由。でも戦う。」 自らを顧みるに、一層頭が下がる思いです。 No.8 18ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 砂川事件、1957年の事件、近年田中最高裁長官と駐日米大使等が最高裁での裁判中に「全員一致... 孫崎享のつぶやき 元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。 » このブロマガへ
中庸左派 砂川事件における伊達判決を覆した最高裁判決の理論を法学の世界では一般に「統治行為論」というわけだが、しかつめらしいネーミングだか、簡単に言えば、裁判所の「逃げの一手」である。 高度な政治案件なのだから、最高裁判所としては判断しません、と。 「統治行為論とは、高度な政治性を帯びた国家行為には司法審査は及ばないとする考え方をいいます。「統治行為」とは、極めて政治色の濃い国家行為の意味で、そこに裁判所がかかわって憲法審査はしませんということ」 https://kenpou-jp.norio-de.com/touchikouiron/ しかし、裁判所として、高度な政治案件を盾に判断しない、というのはおかしなハナシだ。 下級審が判断しているではないか。伊達判決はチャンと判示したではないか。 ということで、この「統治行為論」は、法的根拠無しの単なる裁判所の裁量に過ぎない。 裁判所がやる「超法規的措置」みたいなものであろう。 しかし、この砂川事件では、あろうことか、実質的当事者であるアメリカ帝国側代表者と、田中最高裁長官がグルになっていたわけだ。 呆れ返る。 「開示された資料によれば、司法権の最高機関である最高裁長官自らが、アメリカ側と接触を図り、担当する事件の審理の見通しだけでなく、判決の方向性についても情報を漏らしていたことが明らかになった。 このことから、当時の最高裁は、日米安保条約改定交渉を行っていた日本政府、アメリカ合衆国政府の政治部門の政治的意向に従った審理、判断を行っていた可能性が極めて高く、最高裁長官自らが司法の独立を放棄する行動をとっていたことに驚きを禁じ得ない。 かかる事態は、司法の独立を揺るがす重大な事態であるにとどまらず、国家としての対外的独立性に疑念を生じさせるものと言わざるを得ない。」 http://www.seihokyo.jp/seimei/2013/130516-gichou.html 他にも、政治案件的訴訟は多々ある。三権分立とのお題目は画餅もよいところではないか? よく、日本の主流権威筋メディアからは、民主主義対専制政治みたいなフレーズを聞くが、こんな非民主的なことがまかり通る日米の政治を、よく民主主義陣営だの、自由主観陣営だの、胸を貼ることができるものだ、とつくづく思う。 自国民の訴えや反対意見より、アメリカ帝国の都合を優先するのだから、民主主義もなにもあったものではない。 日本を民主主義国だと、錯覚することも、僭称することも、日本人の多くが「B層」である傍証に思える。 非民主的な現実を見ずに、デマゴーグアメリカ帝国に追従するだけやの政府、そのことになんの疑問も持たない多数派B層が烏合の衆と化した日本。 これはまさに衆愚政治である。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%86%E6%84%9A%E6%94%BF%E6%B2%BB#:~:text=%E8%A1%86%E6%84%9A%E6%94%BF%E6%B2%BB%EF%BC%88%E3%81%97%E3%82%85%E3%81%86%E3%81%90%E3%81%9B%E3%81%84%E3%81%98,%E3%81%BC%E3%81%86%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%9B%E3%81%84%E3%81%98%EF%BC%89%E3%81%A8%E3%82%82%E5%91%BC%E3%81%B0%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82 「在日米軍は出ていくべきだ、主張する人はいる。米軍の行動(基地拡大等)に身を張り戦う人は沖縄などにいる。有罪になる人、若干いる。だがその裁判を不当と60年以上全人生をかけて戦った人はほぼいない。土屋源太郎。体よぼよぼ眼不自由。でも戦う。」 自らを顧みるに、一層頭が下がる思いです。 No.8 18ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 砂川事件、1957年の事件、近年田中最高裁長官と駐日米大使等が最高裁での裁判中に「全員一致... 孫崎享のつぶやき 元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。 » このブロマガへ
高度な政治案件なのだから、最高裁判所としては判断しません、と。
「統治行為論とは、高度な政治性を帯びた国家行為には司法審査は及ばないとする考え方をいいます。「統治行為」とは、極めて政治色の濃い国家行為の意味で、そこに裁判所がかかわって憲法審査はしませんということ」
https://kenpou-jp.norio-de.com/touchikouiron/
しかし、裁判所として、高度な政治案件を盾に判断しない、というのはおかしなハナシだ。
下級審が判断しているではないか。伊達判決はチャンと判示したではないか。
ということで、この「統治行為論」は、法的根拠無しの単なる裁判所の裁量に過ぎない。
裁判所がやる「超法規的措置」みたいなものであろう。
しかし、この砂川事件では、あろうことか、実質的当事者であるアメリカ帝国側代表者と、田中最高裁長官がグルになっていたわけだ。
呆れ返る。
「開示された資料によれば、司法権の最高機関である最高裁長官自らが、アメリカ側と接触を図り、担当する事件の審理の見通しだけでなく、判決の方向性についても情報を漏らしていたことが明らかになった。
このことから、当時の最高裁は、日米安保条約改定交渉を行っていた日本政府、アメリカ合衆国政府の政治部門の政治的意向に従った審理、判断を行っていた可能性が極めて高く、最高裁長官自らが司法の独立を放棄する行動をとっていたことに驚きを禁じ得ない。
かかる事態は、司法の独立を揺るがす重大な事態であるにとどまらず、国家としての対外的独立性に疑念を生じさせるものと言わざるを得ない。」
http://www.seihokyo.jp/seimei/2013/130516-gichou.html
他にも、政治案件的訴訟は多々ある。三権分立とのお題目は画餅もよいところではないか?
よく、日本の主流権威筋メディアからは、民主主義対専制政治みたいなフレーズを聞くが、こんな非民主的なことがまかり通る日米の政治を、よく民主主義陣営だの、自由主観陣営だの、胸を貼ることができるものだ、とつくづく思う。
自国民の訴えや反対意見より、アメリカ帝国の都合を優先するのだから、民主主義もなにもあったものではない。
日本を民主主義国だと、錯覚することも、僭称することも、日本人の多くが「B層」である傍証に思える。
非民主的な現実を見ずに、デマゴーグアメリカ帝国に追従するだけやの政府、そのことになんの疑問も持たない多数派B層が烏合の衆と化した日本。
これはまさに衆愚政治である。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%86%E6%84%9A%E6%94%BF%E6%B2%BB#:~:text=%E8%A1%86%E6%84%9A%E6%94%BF%E6%B2%BB%EF%BC%88%E3%81%97%E3%82%85%E3%81%86%E3%81%90%E3%81%9B%E3%81%84%E3%81%98,%E3%81%BC%E3%81%86%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%9B%E3%81%84%E3%81%98%EF%BC%89%E3%81%A8%E3%82%82%E5%91%BC%E3%81%B0%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82
「在日米軍は出ていくべきだ、主張する人はいる。米軍の行動(基地拡大等)に身を張り戦う人は沖縄などにいる。有罪になる人、若干いる。だがその裁判を不当と60年以上全人生をかけて戦った人はほぼいない。土屋源太郎。体よぼよぼ眼不自由。でも戦う。」
自らを顧みるに、一層頭が下がる思いです。
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