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りゃんさん のコメント

パレスチナ問題について、わたしの理解を簡単に書いておく。簡単といっても、メモからあまり文章を整えないで出すので、ちょっと長くなる。


1,そもそも「イスラエルを建国したときの」ユダヤ人は、どこから来たのだろうか。わたしはパレスチナ問題を知った頃(たぶん小学校高学年くらい)から疑問だった。

ナチス等に迫害されて、それで世界中からイスラエルに移住したのだと教えられた気がする。しかしシオニズム運動がはじまるのは、19世紀のはなしでナチスの台頭よりもずっと前からだ。

この疑問は、何年か前に鶴見太郎(※)を読んで、(わたしにとっては)やっと解けた。

※ 読みやすい本としては「イスラエルの起源 ロシア・ユダヤ人が作った国」にまとまっているが、この本が出る前から、彼の議論は一部で話題になっていた。また、この本は、読みやすいけれど、事実面も理論面の考察も専門的で詳しいので、本気で読むには一定の努力が必要。

彼は、「ホロコースト前まではロシア・東欧地域こそがユダヤ人口の中心だった」という趣旨を書いている。

「20世紀初頭、ヨーロッパのユダヤ人口約890万人のうち、520万人が当時ポーランドの大半を併合していたロシア帝国(※)に、207万人がオーストリア・ハンガリー帝国に居住したのに対し、ドイツでは52万人、フランスでは12万人が居住したにすぎなかった」と彼はいうのである。

※ 当時のロシア帝国領は、ポーランドの多くの部分まで含んでいた。

帝政ロシアは伝統的にユダヤ人差別政策をおこなっていたが(※)、19世紀後半から「ポグロム」がはじまる。ポグロムとは平和に暮らしているユダヤ人に対して、突然下層のロシア国民が集団で襲いかかって、暴行略奪、強盗強姦、殺戮の限りをつくすのである。ポグロムは何度も何度もおこなわれた。

※ 法制度がそうなっていた。また、孫崎さんが平和を訴えたひととしてときどき引用するトルストイも反ユダヤ主義者である。

ポグロムを経験したユダヤ人のなかからシオニズムが生まれ、ポグロムを逃れるために米国やパレスチナに移住する者が出てくる。また、ポグロムの経験は後のイスラエルの好戦的な性格(やらなければやられっぱなしになる)をも決定した。(鶴見はここまで)。

2,イスラエル建国に直接道を開いたのは、1947年のパレスチナ分割国連総会決議であるが、このとき、米国等とともに、ソ連は分割決議に賛成している(反対しのたではない)。さらに、第一次中東戦争(イスラエル独立戦争)では、ソ連はイスラエルに軍事援助すらしているのである(アラブに軍事援助したのではない。これは高橋和夫の本で読んだ)。第一次中東戦争では、当初イスラエルは劣勢で、ソ連の軍事援助がなければ、イスラエルという国は存在していない可能性がある。

3,1と2とを要するに、【ロシア】(帝政ロシア、ソ連、今のロシアをふくめて【ロシア】とする)は、イスラエル建国に、ものすごく責任があるとわたしはおもう。

また、第一次中東戦争は、アラブからイスラエルにしかけた戦争であることにも注意すべきだ。この戦争がポグロムで養われた建国時イスラエルの性格を顕現させのちのち決定づけたともいえるのである。

少なくとも、次のふたつのことは言えるだろう。まず、パレスチナ分割決議については、主に中東諸国が反対(ほかのアジアではインド等が反対)しているが、賛成のほうがずっと多い。総会決議以前には委員会での専門的討議もへており、総会決議は「英国の汚い三枚舌外交」というレッテルとは異なり、イスラエル建国に、国際社会の一定の理解(ソ連も含めて)があったことを示す。

もうひとつは、イスラエルは建国し、米ソに承認され、国連加盟した。国連加盟国であれば、自衛権をもつ。今の国連憲章51条に「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」とあるとおりである。これは国際法のなかでも、もっとも基本的な国際法であり、こういう基本を知らない低学力がときどきいるのは困ったものだ。

4,その後の米国の肩をもつつもりはわたしはまったくないが、ともかくも、米国は1947年の国連決議の線に沿って、(しばしば不公平ではあるが)「仲介者」として行動している。オスロ合意もそうだし、今のサウジ等の諸国との和解仲介もそれだ(ただし、トランプはイスラエル側だったというべきだとおもうが、かといって、トランプのときに戦争が起きないところがある意味おもしろいところだ)。

なお、仲介者?え?とおもったひともいるかもしれないが、基本的にイスラエルが独立国家としての権利を持つのに対し、イスラエルと戦争した諸国・諸勢力は、イスラエルをこの世から末梢しようとしていた(る)ことを思い起こすべきだ。ふつうの意味での仲介はなりたたないのである。

5,一方、「イスラエル建国に、ものすごく責任がある」とわたしがおもう【ロシア】は、何をしたのか。私見では何もしなかったより悪かった。【ロシア】は、和平仲介の役目を果たさず、逆に勝手な国益を追求した。

ロシアは当初イスラエルに衛星国になってもらいたかったのだろう(スターリンのころ)。しかし、イスラエルはそうならなかった。フルシチョフはアラブ諸国に接近し、ブレジネフは第三次中東戦争後にイスラエルと断交する(国交を回復したのは1991年ゴルバチョフによってである)。

第四次中東戦争(1973)はエジプトとシリアがイスラエルに奇襲攻撃をかけることではじまったが、このとき【ロシア】は和平仲介どころかエジプト側にたって直接参戦する勢いを見せた。第三次世界大戦・核戦争の危機だった。このときは米国がイスラエルに国連安保理の停戦決議を受諾させ、その後はキッシンジャーが和平合意をまとめた。イスラエルと国交のない【ロシア】はなにもしなかった。

ただし、このときいわゆる第一次オイルショックがおこり、産油国【ロシア】はおおいに潤った。私見では、【ロシア】はこのとき味をしめ、をの行動様式が今も続いているとおもう。平和ではなく混乱をおこし、資源高を狙う。今現在の危機でも、【ロシア】はイランそしてハマスやヒズボラに影響力があるはずだが、そのチカラを行使しようという気配はない。

こうしたことをひとことでまとめると、わたしが何度も言っている「米国が悪いと百万回くりかえしても、ロシアが良いことにはならない」ということになる。

6.ヒトビト、なかでも低学力氏などは、この第四次あるいはその前の第三次中東戦争のころに【ロシア】がおこなった宣伝工作、またその影響を受けて日本のメディアが書いていた論調がそのままパレスチナ問題の根本的見方になっているのだろう。

まあ当時のメディアを考えると仕方ない面もあるのだろうが、「既存メディアを疑う」といいつつ、実際は疑う思考力もなく、さらに過激なマイナーブログを盲信し、他人をB層と罵るような低学力な姿を見るにつけ、もはや哀れとしか感じない。
No.22
13ヶ月前
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1:  レバノンのヒズボラ ・25日 ロイター ] - レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラ、パレスチナ自治区ガザ地区のイスラム組織ハマス、同イスラム聖戦の指導者が会談した。ヒズボラが25日明らかにした。「ガザとパレスチナにおけるレジスタンス(抵抗運動)の真の勝利を実現し残忍な侵略を阻止するために、国際的な立場と抵抗の枢軸の当事者が何をすべきかについて評価が行われた」と明かした。調整を継続することで合意したという。声明によるとヒズボラのナスララ師、ハマスのサレフ・アル・アルリ氏、イスラム聖戦のジヤド・アル・ナハラ氏が参加した。会議がいつ行われたかは明らかにされていない。 ・イラン外務大臣は 10 月 13 日にレバノンから演説し、イスラエルによるガザ封鎖が続けば第二戦線が起こる「あらゆる可能性」があると述べた( economist ) 2: 西岸のパレスチナ人:パレスチナ人 銃撃で応戦   (イスラエル軍は
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。