ゲストさん のコメント
このコメントは以下の記事についています
日本の研究はもはや世界クラスではない - その理由は次のとおり Japanese research is no longer world class ― here’s why ( GOOGLE 翻訳) 強力な労働力にもかかわらず、日本の研究は質の指標を低下させ続けてい る ( Nature ) 10 月 25 日に英語で発表された日本の文部科学省( MEXT )の報告書によると、世界最大級の研究コミュニティを有するにもかかわらず、世界クラスの研究に対する日本の貢献は低下し続けている。 東京の科学技術・学術政策研究所( NISTEP )科学技術予測・指標センター所長であり、 2023 年版日本の科学技術指標報告書の著者の一人でもある伊神正行氏は、次のように述べている。日本が世界的な地位を向上させるために検討できるいくつかの分野を強調する。 「現在の日本の研究環境は理想とは程遠く、持続不可能です。研究環境を整えなければなりません」と
マウント合戦をいち早く止められたとのこと。よかった。
そもそも政治やあるべき社会の話などは、そのスパンをどう観るかで、何を話しても会話にはならぬもの。30年単位と10年単位どころか今のある現実を対置するだけの話では、全く違ってくるはずだ。例えば、国連の重要さなど、10年単位で話してみても時間の無駄でしょ? そのことも踏まえずに部分批判や揚げ足取りに近い話であったりは、付き合う必要もない。今の社会の根本的批判の大枠を持った人に今の社会の「現実断面」を対してみても仕方ないという話でもある。
例えば、20世紀の国際政治に偉大な功績があったケインズによれば、今ごろは4時間労働制になっていたはずなのだ。そして、それはありえた道もあったと僕は今でも思っている。
例えば、今の世界上位1%に貯まっていった財産が、その本来の姿であるコモンとして戦後に使われ始めていたら・・・。僕が別の所で、実証派と「自分の演繹、思考の大枠」との話をしたのは、そういう意味があったつもりです。と、こんな話は、30年単位どころか、いまや100年単位で振り返ってみないと分からない話でしょ。サッチャリズムが起こってからでももう40年を超える。イギリスは、あの頃の面影もありませんね。
Post