りゃんさん のコメント
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ウクライナ、反攻の成果乏しく 今冬は厳しい防戦に(日経) 2023 年 11 月 20 日 17:14 [ 会員限定記事 ] 【ウィーン】ウクライナ軍の 領土奪回に向けた反攻が厳しさを増している。 最重視した 南部ではアゾフ海沿いまで奪回する目標を達成できず、東部では人海戦術を展開するロシア軍の攻勢に押され始めている。戦闘継続の頼みの綱である欧米の支援を巡っても不安が広がり 、今冬は現在の戦線を維持するための防戦を強いられそうだ。 ウクライナ軍は 6 月から始めた反攻の目標にロシア本土とクリミア半島の間にあるアゾフ海沿い . のザポロージェ州など南部領土の奪回を掲げた。 ウクライナ軍は前進したが、要塞化したロシア軍の防御ラインに阻まれ、アゾフ海から約100キロ Mno 地点にしか到達できなかった。現在は同州で活発な攻勢はみられていない。 U 軍のザルジニー総司令官は戦局が「膠着した状態にある」との認識を示した。 ゼレンスキー大統領は「今
>>ポグロムはANTI-SEMITISMの結果起こったもので、東欧のみならず西欧に於いてもそれと似た残虐が行為が起こっていたと言われてます。その中でもスペインで起こったものはひどかったと言われており、第二のダイアスポラに発展し、その一部がロシアやウクライナあたりに辿り着き、ゲットーを作ったということです。
このフレデイさんの理解は、一般論としては、わたしの知識でも正しいとおもいます。中世以来、ユダヤ人はヨーロッパのどこでもきびしく差別されました。しかし、ポグロムは特別なのです。
3-1、
わたしがまず言っているのは、シオニズムの【直接の】契機が東欧や帝政ロシアにおけるポグロムであったということです。そして、このポグロムからの、いわば「ユダヤ民族大移動」の流れがイスラエル建国と米国におけるユダヤ人社会の形成に【直接に】つながります。そしてさらに、イスラエル建国と米国におけるユダヤ人社会の政治的経済的影響力が【直接に】いまのパレスチナ問題につながります。ですから、背景には欧州全体のユダヤ人差別の歴史があるのは当然ですが、われわれは【パレスチナ問題を】ポグロム抜きに語ることはできないわけです。
3-2、
また、もうひとつ申し上げたいのは、かなりパレスチナ問題に詳しいらしいひとでも、このポグロムからシオニズムへの流れをよく知らないようにみえることです(わたし自身も最初に知ったのは10年くらい前です。欧州では、まああたりまえですが、当然知られているようですけどもね)。
「パレスチナではなくて、ヨーロッパのどこかにイスラエルをつくればいいのに」と誰かふつうの日本人がいうとき、想像ですが、この人のアタマのなかには、東欧やロシアは「ヨーロッパ」にはいっていないでしょう。
しかしわたしがポグロムのはなしをここで出した最初に申し上げたように、ホロコーストからシオニズムになったのではないのです。シオニズムがおこったのは19世紀後半で、それはポグロムがきっかけなのです。
ここをよく考えてみれば、「パレスチナではなくて、ヨーロッパのどこかにイスラエルをつくればいいのに」の答えには、まず東欧やロシアが浮かぶはずです。
3-3、
最後にもうひとつ申し上げたいのは、ポグロムが現在のイスラエルの非常に暴力的な志向をつくったということです。(個人的には建国後のイスラエルに対する執拗な攻撃(その背後にはソ連やロシアがいる)【も】暴力的な志向を助長したとおもっています。もちろんホロコースト体験も関係ないわけはないでしょうが)。
このいわばイスラエル人の心理についての分析は、わたしレベルで紹介できるようなものではなく、ぜひ以前に紹介した「イスラエルの起源 ロシア・ユダヤ人が作った国」(鶴見太郎)を参照して考えていただきたいのですが、わたしなりにかいつまんでいうと、西欧ではきびしい差別はあったものの、強盗、殺戮にまで及ぶことは例外的で、ユダヤ人側の対応もおとなしいものであった。しかし常に暴力的で大量殺戮もよくみられ、かつ頻繁におこなわれたポグロムは「やらなければやられる」という非常に攻撃的な志向をユダヤ人に植え付けたというもので、わたしにはとても腑に落ちました。
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