• このエントリーをはてなブックマークに追加

m.m.さん のコメント

憲法に武力放棄を明記すべきと発言したのが幣原喜重郎というのは事実だと思いますが、その前にマッカーサーから「天皇制維持」と「武力放棄」の二択を求められた可能性が高いと思います。
あの時点で、まもなく開かれる東京裁判では「天皇を戦犯として処刑すべき」と主張する国が多かったため、それを免れるためには武力放棄以外に方法はなかったのです。

現在も天皇制維持を主張する自民党が憲法9条の改定を目指すのは、「生まれる前のことなど知らない」と豪語して、歴史に学ぼうとしない無知の証拠だと思います。
No.1
9ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
日本の憲法は米国主導で作成された。私自身『戦後史の正体』の中で、「日本国憲法は、米国が作成した草案を日本語に訳し。少し修正したものです」という項目で経緯を記述している。ただ、その当時、知識がなかったので憲法九条の経緯には言及していない。 だが学んでいく内、「憲法9条の発議は幣原喜重郎である」との重大な事実に遭遇した。それを裏付けるのが、マッカーサーの議会証言である。マッカーサーは1951年連合国軍最高司令官の地位を解任される。1951年 5 月 3 日から三日間、上院の外交委員会と軍事委員会の合同聴聞が開催され、議題は「マッカーサーの解任」と「極東の軍事情勢」であった。解任が重要議題であるから、その証言には大変な重みがある。当然記録はある。 幣原平和財団『幣原喜重郎』( 1955 年)は次のように記した。 「 1951 年 5 月 5 日の米議会上院軍事外交合同委員会公聴会での証言」によれば、 マッカーサー は 「幣原首相
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。