• このエントリーをはてなブックマークに追加

changeさん のコメント

幣原政権松本委員会が改正案「憲法改正要綱」を司令部に提出したのは1946年2月8日

提出前の2月1日に毎日新聞スクープによって、GHQ独自の憲法改正案作成に着手。理由は松本案は保守的であり司令部側で憲法起草作成を決定。

2月3日マッカーサー三原則が提示される。
国家主権の明確化。天皇の象徴。戦争放棄の規定。貴族院の廃止。

2月13日に司令部は日本側改正案を拒否

米国はGHQ草案を提示し、日本側に公布

日本は司令部に再考を求めるも一蹴された。

マッカーサー三原則が重くのしかかっている。
No.5
9ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
日本の憲法は米国主導で作成された。私自身『戦後史の正体』の中で、「日本国憲法は、米国が作成した草案を日本語に訳し。少し修正したものです」という項目で経緯を記述している。ただ、その当時、知識がなかったので憲法九条の経緯には言及していない。 だが学んでいく内、「憲法9条の発議は幣原喜重郎である」との重大な事実に遭遇した。それを裏付けるのが、マッカーサーの議会証言である。マッカーサーは1951年連合国軍最高司令官の地位を解任される。1951年 5 月 3 日から三日間、上院の外交委員会と軍事委員会の合同聴聞が開催され、議題は「マッカーサーの解任」と「極東の軍事情勢」であった。解任が重要議題であるから、その証言には大変な重みがある。当然記録はある。 幣原平和財団『幣原喜重郎』( 1955 年)は次のように記した。 「 1951 年 5 月 5 日の米議会上院軍事外交合同委員会公聴会での証言」によれば、 マッカーサー は 「幣原首相
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。