changeさん のコメント
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日本の憲法は米国主導で作成された。私自身『戦後史の正体』の中で、「日本国憲法は、米国が作成した草案を日本語に訳し。少し修正したものです」という項目で経緯を記述している。ただ、その当時、知識がなかったので憲法九条の経緯には言及していない。 だが学んでいく内、「憲法9条の発議は幣原喜重郎である」との重大な事実に遭遇した。それを裏付けるのが、マッカーサーの議会証言である。マッカーサーは1951年連合国軍最高司令官の地位を解任される。1951年 5 月 3 日から三日間、上院の外交委員会と軍事委員会の合同聴聞が開催され、議題は「マッカーサーの解任」と「極東の軍事情勢」であった。解任が重要議題であるから、その証言には大変な重みがある。当然記録はある。 幣原平和財団『幣原喜重郎』( 1955 年)は次のように記した。 「 1951 年 5 月 5 日の米議会上院軍事外交合同委員会公聴会での証言」によれば、 マッカーサー は 「幣原首相
提出前の2月1日に毎日新聞スクープによって、GHQ独自の憲法改正案作成に着手。理由は松本案は保守的であり司令部側で憲法起草作成を決定。
2月3日マッカーサー三原則が提示される。
国家主権の明確化。天皇の象徴。戦争放棄の規定。貴族院の廃止。
2月13日に司令部は日本側改正案を拒否
米国はGHQ草案を提示し、日本側に公布
日本は司令部に再考を求めるも一蹴された。
マッカーサー三原則が重くのしかかっている。
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