中庸左派さん のコメント
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私は X (旧ツイッター)で発信している。2023年から週一回「今週の歌」として 外国の曲の紹介を始めた。外国の曲には人生を考えたり、励ませられたり素晴らしい曲が多い。すでに知っている人とは良さを共有し、知らない人にはこんないい歌があると紹介し。 Ben E. King の「 STAND BY ME 」から始めて The Proclaimers の「 I'm Gonna Be (500 Miles) 」、 Rod Stewart の「 I Am Sailing 」と続けた。こうした紹介で 異色だったのはマレーネ・ディートリッヒの「全ての花はどこへ行ったの?」である。 全ての花はどこへ行ったの? 長い時間が経ち、全ての花はどこへ行ったの? ずっと昔、全ての花はどこへ行ったの? 少女たちが花を摘んだ。全ての花を ああ、いつになったら学ぶの?ああ、いつになったら学ぶの?」 上の句で始まり、主題が花から少女へ、少女から若い夫へ、そ
随分昔、学生時代にマルクス主義にかぶれていたから、唯物史観に基づく歴史の最高発展段階としての共産主義が成立した暁には、「国家は死滅する」という「教え」は、私にとって漠然と目新しい魅力的な響きがあったように思い返している。
当時は、プロレタリア国際主義とか、労働者に国境はない、みたいなスローガンから資本家を打倒して世界中に労働者国家を打ち立てる世界革命みたいな夢想も時には語っていたと思う。
そもそもレーニンが指導したロシア革命当時、ロシアは後発農業国に過ぎず、産業革命から資本主義の勃興、そして階級対立激化から労働者革命へ、という「理論」からは程遠い状況であった。
だからスターリンはとりあえず一国社会主義路線を推し進め、世界革命を唱えたトロツキーと対立したみたいないきさつも踏まえて、一国社会主義路線をソ連型社会主義批判の材料にもしていた気がする。その意味では、スターリンと対立したトロツキーの世界革命論とか永続革命論のほうが、なんとなく、いいんじゃないかなぁ、みたいな印象であった。
そういえば、左翼系知識人として有名な柄谷行人も、2006年に『世界共和国 資本=ネーション=国家を超えて』という岩波新書を出している(私は読んではいないが)。
要はソ連型社会主義は「真の社会主義ではない」と。当時の新左翼学生には、概してソ連、中国、北朝鮮における社会主義は評判が悪かったし、私の理想化した共産主義像も、これらの国とは相容れないイメージであった。
あくまで幼稚な学生の思考というより夢想であったが、現実を見れば、とっくにソ連邦は崩壊し、中国は「資本主義」化してしまった。そして、少なくともマルクスが言っていた「国家の死滅」はどうみても起こりそうにない。
しかし、一方で左翼にとっては、「国家の死滅」論みたいなものに始まり、一国社会主義批判や既存の社会主義国家へのアンチテーゼから、どうも世界政府とか、世界共和国みたいなメタ国家観が浸透しやすい素地があるように思える。その理論的先駆けはトロツキーだったのだろう。
ところが、そうこうするうちに、今度は資本主義が世界を席巻し、覆い尽くすかの状況が出現してしまった。
グローバリズムである。
WEF、DSみたいな一部エリートがダボス会議等に集まっては、アメリカ帝国的価値観を唯一の正統として世界中に押し付けようと謀議を重ねているのではないか?
アメリカ帝国の覇権をテコにして、世界中を市場経済や競争、民営化といった単一の原理に統制しようという動き。これはここ数十年間の日本経済の流れとしては実際に起こっていた事態であった。
国鉄分割民営化、郵政民営化、非正規労働者の増大、格差社会、国公立大学の法人化と予算削減などなど。
これらはグローバルスタンダードの掛け声の下、強引に推し進められたことであった。グローバルスタンダードとは、即ちアメリカ帝国を正統とする論法である。
しかも、アメリカ帝国を正統とするグローバリズムは、ビッグファーマや軍産複合体の利益を極大化するための利権のシステムである。
だから、戦争を輸出しては、それによりボロ儲け出来る仕組みも出来上がっている。その一つの側面がロシアとウクライナの戦争であり、ハマスとイスラエルの戦争である。
ビッグファーマや軍産複合体、巨大投資ファンドにとって、人の命は軽く、儲けるためのタネでしかない。そうしたアメリカ帝国をウラで牛耳る深奥の権力集団をDSと言ったり、DSの利権を維持強化するためのアメリカ帝国の世界覇権をグローバリズムと呼ぶ、私はそのように理解している。
このグローバリズムはアメリカ帝国を正統とする支配、非支配の体系だから、当然国家主権は邪魔であり、制限される必要がある。場合によっては政権転覆や傀儡化、戦争により強制することもある。日本は傀儡化された。戦争の最近の例は、アメリカ帝国ら西側によるロシアの特別軍事作戦への介入、横槍であろう。犠牲者はウクライナ人である。
それで、最近ギョッとしたのは、このグローバリズムとは、アメリカ帝国に渡ったトロツキスト=左翼が世界革命ならぬ世界統一「政府」樹立を目指して国家主権を剥奪するための目論見である、との右派論客の説を聞き及んだ時であった。
憎きグローバリズムの源流は左翼トロツキストであったか?
真相や如何に。
さて、ながながと書いて恐縮なのであるが、何が言いたいかと言えば、私はグローバリズムには反対である。従って、国家主権を確立した独立自尊の日本を創るべきである、ということだ。
国家の死滅を夢想した左翼学生であった私は、今や独立自尊の日本みたいな、我ながら右翼チックなことを考えるサヨクに「進歩」を遂げたのかどうかは、自分でもわからない。
しかし、国家の死滅はともかく、少なくともグローバリズムは胡散臭いと思うのである。
だから、死滅するべきは、西欧的価値観、アメリカ帝国的価値観、西欧的自由と民主主義的価値観ではないか、と考えている。
新しい国家観が必要ではないか?西欧的自由民主主義は古臭いのではないか?人を幸せにしないのではないか?
そんなふうに思う今日このごろである。
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