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フレデイ タンさん のコメント

1970年前後は、ソ連だけでなく、フランスでも、米国でも、日本でも反体制派の活動が活発でした。

フランスではパリ5月革命、米国ではロバート・フランシス・ケネデイーとマルチン・ルーサー・キングの公民権運動、日本でも1970年安保闘争が展開されました。

上記の反体制の運動は悉く潰されました。

以上と同時期に体制ががらりと変わる体制側から動いたものがありました。それは中国の毛沢東のニクソンとの会談です。この会談後、中国はアダム・スミスの市場経済導入を開始したのです。
No.3
9ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
1968年1月私はチェコにいた。この時期チェコでは「人間の顔をした社会主義」と呼ばれる「プラハの春」の真最中だった。経済における地方分権化と民主化を実施し言論の自由を認めた。私はロシア語を学び始めて1年半、ロシア語で何となく会話が出来る時である。プラハの市民は興奮し、自由に過去の政府批判やソ連批判を行っていた。 1968 年 8 月 20 日ソ連が指揮し 50 万人規模のワルシャワ条約機構軍軍と戦車がチェコに侵入した。同年9月私はモスクワ大学に入学した。社会主義を推進し、守るに言葉でなく戦車しかないことにロシア知識人は驚愕した。ソ連式「社会主義の正当性」の死である。  ソ連国内で知識階級を先頭に「反体制運動」が展開された。この中にチェリスト・ロストロポーヴィチがいた。 1951 年スターリン賞を受賞、世界のチェロ演奏の第一人者である。ロストロポーヴィチはソ連軍がプラハに侵攻したその日、ソ連国立交響楽団と共にロン
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。