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p_fさん のコメント

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p_f
> ロシアでの生活がなければ、官僚であった私が「反体制派に正義あり」という考えが根付くはずがない。

国外での強烈なご経験が多い中、特に若い時のそれは、後の人生に決定的だったと推察。

> この時ソルジェニーツィンを支援したのがロストロポーヴィチとサハロフである。

芸術家にしろ科学者にしろ、ホンモノである程、精神的束縛から解放されているはずだ。だが、体制側はやがて大衆を束縛するようになる。「鳴かぬなら 鳴かずともよい ホトトギス」から「鳴かぬなら 殺してしまえ」となり、ついには「鳴いても鳴かなくても 殺してしまえ」―つまりガザである。
孫崎さんにとって「ロシアでの生活」は、正気を失わないための「予防接種」になったと言えそうだ。
No.4
7ヶ月前
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1968年1月私はチェコにいた。この時期チェコでは「人間の顔をした社会主義」と呼ばれる「プラハの春」の真最中だった。経済における地方分権化と民主化を実施し言論の自由を認めた。私はロシア語を学び始めて1年半、ロシア語で何となく会話が出来る時である。プラハの市民は興奮し、自由に過去の政府批判やソ連批判を行っていた。 1968 年 8 月 20 日ソ連が指揮し 50 万人規模のワルシャワ条約機構軍軍と戦車がチェコに侵入した。同年9月私はモスクワ大学に入学した。社会主義を推進し、守るに言葉でなく戦車しかないことにロシア知識人は驚愕した。ソ連式「社会主義の正当性」の死である。  ソ連国内で知識階級を先頭に「反体制運動」が展開された。この中にチェリスト・ロストロポーヴィチがいた。 1951 年スターリン賞を受賞、世界のチェロ演奏の第一人者である。ロストロポーヴィチはソ連軍がプラハに侵攻したその日、ソ連国立交響楽団と共にロン
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。