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フレデイ タンさん のコメント

日本経済の推進駆動体は個人の私利私欲に従がう利回り最優先を自由放任する国家の政策そのものですから、日銀のみならず世界中の余資が東京の株と東京の不動産に集中し今後もその傾向は続くでしょう。

昔、夢の島、カラスが群生するゴミ捨て場が岩盤に匹敵する砂岩層に変貌?したと土建屋は胸を張るが果して信用できるか?なのに今じゃ立錐の余地なく高層住宅群になっているのです。今じゃ、残るは皇居脇と神宮の森の一等地。そこに高層を建てれば、天を突く相場になるのは間違い無し。

昔、オランダでチュリップ・バブルが発生した。そして、バカらしいことが分かってぽしゃった。東京の株と不動産。今登り竜だがいずれ大崩落間違いない。起これば間違いなく崩壊する要因を下記致しました。
1.日中戦争。
2.日露戦争。
3.マグニチュード7の直下型地震。
4.ドル体制崩壊。
5.皇居移転。
上記1、2は日米軍事同盟を解消すれば避けれる。5.は避けられない。高層ビルから覗かれる皇居は機能しないのです。

以上の思考は普通に考えて常識的。その他はオランダのチュリップバブル崩壊みたいに気まぐれで起こることもあるのです。
No.3
8ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 英国大使館は在京各国大使館の中でももっとも秀でた場所にある。内堀通り、千鳥ヶ淵公園、 半蔵門濠を超えると皇居で、天皇陛下のお住いの吹上御所がある。緊急事態には皇居から半蔵門濠の地価を通って英国大使館に出る逃げ道があるとまことしやかな伝説がある。 この 英国大使館敷地が三分割された。一つは英国大使館、一つはマンション予定地、一つは公園 である。 経緯はやや複雑で明治にまでさかのぼる。幕末英国は莫大な資金を背景に徳川幕府崩壊に関与する。明治政府下、大使館建設を、土地を買っていれば何の問題もなかったが、安い借料で大使館を立てた。 1873 (明治 6 )年、明治政府が貸し付けた約 3 万 5 千平方メートルの国有地に建てられた。戦後も破格の安い賃料であった。しかし1970年代には日本政府は妥当な賃料を要求し始めた。広大な土地なので支払いが難しい。そこで交渉が行われ、日本政府に五分の一の土地を返し、残りを英国の物とする交
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。