• このエントリーをはてなブックマークに追加

p_fさん のコメント

userPhoto
p_f
吉備真備も、岡山が中国にゆかりのある土地柄であることも知らなかったが、初めて知る真っ当な日本人全てにとって「良い知らせ」だろう。台湾有事に日本を巻き込むべく、一億総「嫌中」に仕組まれ続けているからだ。

> その縁で、岡山市は洛陽市と姉妹都市だ。

大昔に少しだけ歩いたことがある洛陽市旧市街の、味わいのあるレトロな街並みは今も印象に残っている。

> 岡山市日中友好協会の現・前の二人の会長と夕食をご一緒にしたが、御二人共、元岡山大学学長であった。

ご著書「アメリカは中国に負ける」も話題に上がったのでないかと推察。また、さり気なく書かれているが、国立大学学長クラスの人物と誰でもが会食できるわけでない。孫崎さんクラスであればこそだ。即ち、孫崎さんが積み上げてこられた実績の賜物である。そうしたレベルの人物たちの会話には実質があり、その一端をこうしてご紹介頂けるのは非常に有難いことだ。

吉備真備が唐での実績によって破格の出世を遂げたように、孫崎さんも これまでの実績が注目されることで、現役を離れても尚、中国の招聘を含め、ハイレベルな活動が好循環を生んでいる。それは、「1+1=2です」「ナマコは嫌いだ」「月にウサギはいません」だけのクズカスどもには一生理解できないことでもある。
No.7
9ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
日本の歴史の中で、 吉備真備 (持統天皇 9 年・ 695 年―宝亀 6 年・ 775 年は特異な存在である。古代、中世、日本の政治に関与した重要な人物は天皇家等と姻戚関係があり奈良・京都に生まれた人物である。吉備真備は右大臣にまで昇進しているが、 現倉敷市で生まれ ている。地方出身者としては破格の出世である。、学者から立身して大臣にまで至ったのも、近世以前では吉備真備と菅原道真の二人とおわれている。 彼が重用された基礎は遣唐使一行として中国に二度渡ったことにある。一度目は唐で学ぶこと18年に及び、遣唐留学生の中で、唐で名を上げたのは真備と阿倍仲麻呂の二人と言われている。その縁で、岡山市は洛陽市と姉妹都市だ。 中国の文学者に郭沫若がいる。 郭沫若は 1922 年処女詩集『女神』を発表。文学史において、『女神』は五四時期浪漫主義思潮の代表作とされている。雰囲気を見るため、一部を掲載する。「 〔女神之一〕自从 炼 就五色彩石   曾把
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。