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中庸左派さん のコメント

Wikipediaによると、学生運動が激しかった時代、警視総監だった秦野章は「佐々によれば、当時絶頂期であった学生運動を「いずれ消える泡のようなもの」」といったという。

慧眼というべきなのだろう。

随分前だが、母校に立ちよったことがあったが、学舎から学生運動の痕跡は、まさに完全に消えていた。

資本主義対社会主義とか、保守と革新などというワードは死語だろう。今時、大学でマル経を教えている教員はいるのだろうか?マル経を学んでいる院生はいるのだろうか?

私自身、今や社会主義や共産主義については懐かしい思い出の1頁のようなカンジを持ってしまっている。

思い出したのだが、学生時代に夜間工事の交通誘導のバイトをしていたのだが、その時、元警視庁の警察官だったという人と何度か一緒になった。時折、休憩中に雑談した。その人は定年退職後、暇を持て余しているので、バイトをしていると言っていた。その人は慶応出身だと言っていた。また、東大の安田講堂に全共闘学生が立て込もっていた際、対峙する機動隊員を指揮する立場であった、とも。そして、印象に残っているのは、その人は学生が正しい、と言い切っていた。「我々(警察)はバカみたいなもんだ」と。

何故、そう思ったのかは、聞けなかった。ただ、この人は戦中世代かな、と漠然と考えていた。だから、政府とか、権力とか、信用していないのかな、と。

この時代は、こんなカンジの警察官も沢山いたのだろうか?私には知るよしもない。

今はどこを切っても同じような金太郎飴みたいな日本人ばかりではないかな、と心配している。大学からは、とうの昔に学生運動は泡と消えて、それから先は金太郎飴とかB層みたいな日本人が激増しているのだろうな、と漠然と思っている。
No.3
9ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
私は、基本的に日本の犯罪は追っかけない。自分の範囲は主として国際関係、それとの関係での日本政治である。日本国内の犯罪は追わない。   『闇の盾』 の章立ては次のようになっている。 第一章 渋谷ライフル銃事件 放し飼い/番長の掟/昭和三五年、警視庁入庁/警察学校「二等兵物語」海の最前線/沖仲仕と「黄色い血」事件/キャバレー美人座、首都高速でフルスロットル/「貴族の一機」/デモ隊、立川基地に乱入、銃砲店に立てこもった男/犯人を撃ってもいいのか/賞詞二級と警視総監、第二章 秦野章と田中角栄、三億円事件の「被疑者」/型破りの巡査/銀座デビューと「B反屋」、立志伝中の警察官僚/秦野章の私設秘書として/叱責、叱責、また叱責、田中派大集会/ミスター検察への怒り/「角栄は日本の宝です!」、三田のビルと平和相銀融資等となっている。  著者は「:寺尾 文孝 1941 年、長野県佐久市出身。、 1960 年警視庁入庁。東京水上署、
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。