フレデイ タンさん のコメント
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私の出身地は石川県小松市である。この農村地域に向本折小学校があり、私の母校だ。10年程前であろうか、小学生に講演を頼まれた。終わって校長先生が色紙を持ってこられた。多分「 切磋琢磨」「一心不乱」等の熟語を期待されたと思うが、私は「太郎と呼べば太郎は来る 花子は来ない」と書いた。 この言葉は PHP 発行部『心を豊かにする100の言葉』での時実新子氏の記述からとった。時実新子氏は 1929 年 - 2007 年の川柳作家である。 62年には、夫ある女の激しい恋情を詠った句集「有夫恋」がベストセラーとなる。《凶暴な愛が欲しいの煙突よ》《五月闇生みたい人の子を生まず》《背信の夜明けの闇のその重さ》 《こちらあなたの夫と死ぬる女です》等読み、芸能評論家の木津川計さんは「かくほどに奔放に剥き出しに情念や情欲を詠い上げた女流川柳家がいたであろうか。」と指摘している。 私は情念を柔らかく包んだ歌の方が好きだ。 「北風や 獅
2,30年前に英国人から日本人はPCのソフトプログラミングが苦手のようだと聞かされ、何故だと考えこんだことがあります。そして今になってその原因が日本語、そしてそれを造り上げた日本人の感性にあるんじゃなかろうかと思うようになっています。
今我々が常用語とする日本語は日本の文化と感性の缶詰でもあります。世界を見渡してみて、哲学の分野では圧倒的にフランス語とドイツ語での業績が量的にも質的にも抜きんでてます。PCやAIのソフトプログラミングやアルゴリズム作成では米国人やインド人の業績がこれまた抜きんでてます。日本語と日本の文化は理屈詰めには苦手なんじゃないでしょうか。
日本は、奥ゆかしさが前面に出過ぎて、なかなか花子と呼べないのでしょうか。
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