中庸左派さん のコメント
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私の人生の柱の一つがジョギングである。ただマイナスの面を持っていて、かつてマラソンのトレーニングのやりすぎで親指付け根を痛め、体調不良の時にはここを起点に通風が出る。痛風が出るとジョギングは休む。そして徐々に回復する。このサイクルの一つでリハビリの時に北の丸公園をゆっくりゆっくり散歩した。そして タイサンボク(泰山木)の大木の下に来た。タイサンボクは高さ 20 メートルになるという・青い空を背景に白い大きい花が咲いていた。スマホで写真をとり、それをツイートにアップした。この日から、私は自分のツイートに花の写真をアップすることを続けている。花の写真は東御苑、北の丸公園、千鳥ヶ淵公園、一番町・麹町の道路脇が主な取材源である。 1993年私は大使としてウズベキスタンに赴任した。ウズベキスタンは1991年旧ソ連から独立した。独立した国がどう発達するのかを見極める目的や、「中央アジア」という古代ロマンに惹か
「あれはマルクス・レーニン主義に基づく“真の社会主義”ではない」みたいなカンジであった。よく、新左翼は反帝国主義、反スターリニズムみたいなスローガンをクチにしていた。略して「反帝!反スタ!」といったものだった。因みに、帝国主義国としては、アメリカ帝国だけでなく、日本も含む。日本帝国主義打倒!略して「日帝打倒!」などとも言っていた。それはともかく、「反スタ」だから、ソ連邦は理想の社会主義国家ではなく、むしろ、敵のような受け止め方であった。
中国についても、文革での紅衛兵の暴走や、天安門事件等、中国型社会主義もイメージの良いものではなかった。ただ、『毛沢東語録』等の影響だろうか、ソ連邦と比較すると中国派みたいな学生はいた。
北朝鮮は、なんというかマスゲームのイメージが強い。一糸乱れぬパフォーマンスは、壮観であるが、どこかロボット的無機質さに違和感が強かった。所謂、専制国家とか全体主義のイメージをマスゲームの中に見ていた、と言おうか?
私のような過激になりきれない穏健な新左翼も沢山いたわけだが、そうした中では、だいたい上記のような漠然とした旧社会主義国家への印象が流通していたように思われる。
それでも、ソ連邦が崩壊した時は少なからずショックはあった。しかし、あくまで漠然と、資本主義が、これからは世界を席巻するのだろうな、というカンジで、他人事として眺めるしかなかった。
そして、ソ連邦崩壊によるロシア人や連邦を構成した各自治共和国の人々の苦難の歴史は知るよしもなかった。
それから、案の定、サヨクとしては、資本主義というより新自由主義、ネオコン、グローバリズムのイデオロギーが我が日本にもどんどん流れ込んできて、自己責任や格差社会といった社会主義イデオロギーの衰退による反動攻撃への対応に追われるようになった。
それからいく年月、日本はますますアメリカ帝国の傀儡としてがんじがらめになっており、展望のない社会になった。しかし、それは一方で、中露、BRICS、グローバルサウス等非米側の影響力拡大と表裏の関係だろう。自由民主主義を守るために戦争を輸出するアメリカ帝国ら西側のリクツを世界のグローバルサウスら非米側は冷ややかな批判の目を向けるようになった。
そして、ウクライナで、中東でアメリカ帝国は覇権低下を隠せなくなった。
つまり、多極世界への変革が世界の趨勢であり、アメリカ帝国らの自由と民主主義は少なくとも、括弧にくくって見るべき、地域的風習くらいのカンジになるのではないか?自由民主主義なぞ、グローバルスタンダードでもないでもない、というカンジになるのではないか?
ロシアはアメリカ帝国らの理不尽な経済制裁を耐え抜き、プーチン大統領はロシア人の絶大な支持を集めた。資本主義経済に変わる世界システムが形成されるかはわからないが、少なくとも、アメリカ帝国流の自由民主主義のインチキは、非米側にとっては常識ではないか?
ソ連邦崩壊から30年以上経った。アメリカ帝国ら西側の没落は世界史的に見るなら、良い潮流だと考えている。アメリカ帝国が壊れていくことを、出来るだけ遠くから眺めることが出来れば幸いだ。
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