p_fさん のコメント
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多くの日本人が米国へ、留学や仕事で渡った。皆、「米国とは何か」を解釈する。 米国に留学し、後、日本の言論界で発言力を持った人に鶴見俊輔がいる。彼はハーバード大学留学中m1942年3月逮捕され、捕虜交換船に乗り日本に帰国した。こうした経験で彼は誰よりも真摯に米国の実態を追求した。その一端を示す本に『北米体験再考(1971年)がある。ここで彼はアメリカ・インディアンの視点で米国を考察している。 「日本人の北米紀行のなかでも、アメリカ・インディアンに会った記録は、数少ない。 その数少ない記録の一つ、本田勝一の『アメリカ合衆国』からインディアンが今日の米国をどう見ているかを引くことにする。話し手はニューメキシコ州のタオスに近いプエブロ・インディアンの部族長ポール・バナールである(注:引用は適宜省略)。 「どだいアメリカ合衆国などというのは、旧来の土着文化や宗教を破壊し、強盗と虐殺でできた国なので
仮に朝ナマで孫崎さんが このように切り出せば、また親米右翼どもがギャーギャー喚いて火消しに躍起になる。日本は、米欧人が奪っていい土地、抑えていい民族に入っている―これも日本では言ってはいけないタブーだからだ。何故なら、米欧にとって日本人大衆は騙され続けてナンボの茹でガエルでしかないからだ。
本多氏は「アメリカ合州国」の後に「殺される側の論理」を出しておられるが、「騙される側の論理」という著作はない。騙される者には無知と「善意」しかなく、論理もクソもないからだろう。だが、「殺される側の論理」には<無知と「善意」が虐殺する>という項がある。実際に現場で虐殺行為に及ぶのは「騙され易い者」でもあるに違いない―「自分の頭で考えない者」と言い換えることもできそうだ。
一方、今日まで続く米欧/イスラエルの非道とは別に、過去を見れば日本も全く褒められたものでない。また、同じことが当て嵌まる時代が中国、韓国にもあるのでないか。ロシアにしてもそうだろう。ポーランドの友人曰くの「私たちはロシア『人』を全く好きになれないのです」はその所為だと私は思っている。「カティンの森の虐殺」などよりずっと前の、ポーランド貴族がまだ健在だった頃からのことだろう。この友人にある時、トルコ建国の父、ケマル・アタチュルクを話題にした際、「アタチュルクが一体どんな酷い事をしでかしたか、貴方はよく学ぶ必要があるでしょう」と言われてしまった。また、ウン十年前にトルコを旅行した際、親日的な現地の若者が「しかしねぇ、『じゃあオスマントルコの非道はどうなのだ?!』ってことだよ...」―何の話だったか忘れたが。
先日、とある本の書評に次の一文があった-
「新入社員は自社の過去の過ちについて謝罪する必要があるのか...自分の国の過去の加害行為について謝罪することはできるのか...」
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