• このエントリーをはてなブックマークに追加

fkm327さん のコメント

 休暇旅行で、また、仕事で年に数回、最近はより頻繁に私の住むドイツのフランクフルトから国境を越えてフランスに行く。車で、列車で一度は自転車で通過したこともあるが、「越える」という感覚は実感としてはなく、日本での感覚にたとえれば、かつて私が住んでいた宇治市から知らないうちに京都市に入っていたというのが一番実感に近い。検問所や税関はなくライン川や峠などの自然の地形が目印になっているか、そのようなものもなく緑の野原がただ広がっているだけのところもある。このような独仏国境を通る時いつも思うことがある。それは、19世紀以来何度も戦火を交え、夥しい戦死者を出した両国がこのような緑の国境を実現するために払われた両国の政治的指導者や市民の努力や思いのことだ。第2次大戦後、国交正常化のため初めて両国が結んだエリせー条約の中身は「両国首脳閣僚は毎年定期的に会って意見交換をする。」ということでしかなかった。しかし、この条約は両国首脳に未来永久に「対話を義務づけた」。「対話の継続」が如何に重要なことであったかはその後の歴史が証明している。歴代の首脳たちは今に至るまでこの義務を果たし続けているのだ。独仏の首脳はどんなに両国関係がぎくしゃくした時でも会って対話し、一度も会談をキャンセルしたことがない。あるときは独仏両文化の結節点とも言えるアルザス地方の庶民的なレストランで両文化の結晶のような地元の料理とワインをともにしながら関係修復を誓い合ったりもした。このような努力のうえに緑の国境は存在するのだ。
 振り返って、日本はどうなのか。近隣の国々と意見や立場の違いを超えて対話する努力を十分にしているだろうか。ドイツの元首相ヘルムート・シュミットは日本に対しこう提言しいている。「日本はもっと近隣によい友人を持つべきだ」。経験の積み重ねからでたこの言葉に我々も耳を傾けるべきではないだろうか。
No.5
133ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
27 日欧州連合代表部でパネルディスカッションを行ったが、その際、私は東アジアの安全には EU の歴史を学ぶ必要があると指摘した。私の『不愉快な現実』の該当部分。 *************************************** 今日、「独仏が戦争するか」と問えば、皆、「それはない」と答える。  しかし独仏は第一次世界大戦と第二次大戦を戦った。それなのに何故、今、独仏は戦争しないのか。  日本は今、中国との間に尖閣諸島という対立がある。将来武力紛争の可能性がある。どう戦略を立てるかが問われている。 その時に「独仏は、今何故、戦争しないのか」を問うことは、我が国に極めて重要である。 第一次世界大戦と第二次大戦は莫大な死者を出した。この被害を繰り返さないという決意が、欧州に新しい流れを作った。  先ず、第一次大戦と第二次大戦の犠牲者はどれ位だったのだろうか。 第一次大戦の被害―直接
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。