27日欧州連合代表部でパネルディスカッションを行ったが、その際、私は東アジアの安全にはEUの歴史を学ぶ必要があると指摘した。私の『不愉快な現実』の該当部分。
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今日、「独仏が戦争するか」と問えば、皆、「それはない」と答える。
しかし独仏は第一次世界大戦と第二次大戦を戦った。それなのに何故、今、独仏は戦争しないのか。
日本は今、中国との間に尖閣諸島という対立がある。将来武力紛争の可能性がある。どう戦略を立てるかが問われている。
その時に「独仏は、今何故、戦争しないのか」を問うことは、我が国に極めて重要である。
第一次世界大戦と第二次大戦は莫大な死者を出した。この被害を繰り返さないという決意が、欧州に新しい流れを作った。
先ず、第一次大戦と第二次大戦の犠牲者はどれ位だったのだろうか。
第一次大戦の被害―直接
コメント
コメントを書く昨年中国,韓国両地域の観光旅行は多くの方が利用し、旅行社のパンフレットはツアーが満載であった。
打って変わって、今年は、中国のツアーが乗っていない旅行社が見られ、凄まじい変化である。今年,成都に出かけたが、
どこに行っても、我々のグループだけ、各地で日本人を見ることがなかった。
急激な変化である、何が変わったか、自民党に変わったこと以上に、安倍総理の中国に対する過激な発言と行動に起因しているといえる。日本人の気質は欧米人に劣等観を抱き、同じアジア人を蔑視する潜在的な気持ちがあり、政府特に総理の言葉を良く考えることなく、そのまま受け入れるのでしょう。一人の人間として、自分の目で見て判断する習慣をつけず、お上の言うとおり、唯々諾々と従う国民性は、諸外国が日本を恐れると同じ様に、私も恐ろしさが募ってきます。
物事を決めるときに、決ったことに従うことはいいことであるが、お互いに個々の意見をぶつけ合って物事を決めていく習慣がつかないと、大きな声で叫ぶ指導者がでると、そちらに流されることになる。
ASEANは共同体のようになっているのに、極東アジアは、なぜ手を結べないのだろうか?
理由は色々あるが、書き込みません。ただ、日本を含め、EUより後進国なのかもしれない。
しかし、世界のバランスと時間的経過によって、将来平和を共通目標にする日が来るように思う。
そういう流れが、世界の潮流のように見える。
貴重な講演お疲れ様でした。「独仏の関係を東アジアに移すことが出来ないか。」。将来的に出来ない事はないと思います(というかその様に信じたい)が、先ずは指導者の資質と度量そして国民を導く指導力が重要ですね、特に日本側の。我が国首相の最近の米国での発言を聞いていると、絶望的になる。過去への深い洞察と歴史認識も無しにただ口先だけで受けを狙う薄っぺらさを感じる。「右翼の軍国主義者と呼びたいならどうぞ!」などと本人は軽いジョークのつもりでしょうが、「右翼の軍国主義者」という言葉の持つ本当の怖さを知らない無知で軽薄、未熟な無責任青年の軽いノリで「ネトウヨの軍事オタクと呼びたいならどうぞ」と言っている様に聞こえる。恐らく若いころから常に自分の意に沿う裕福な取り巻きに囲まれ日の当たる華やかな場で過ごし、例えば、図書館の片隅でこっそりと戦争記録の写真集や被害者の証言集(最近見かけないが昔はあった)等を見て何かを感じる様な事なしに育ったようだ。トップの人間がこれだから国民も「そうだっ、文句あるか」と思ってしまう。これで関係が上手くいくはずもない。そう、これからは構想を出す人間と、それを促進する政治家を国民が育てねばならない。かなり遠い道ですね。
私もある民間団体のツアーで今年の4月に中国に旅行し同じ経験をしました。行く先々、日本人の観光客には一人も出会わず。これは異常事態と思いました。中国の著しい台頭で、政治・経済面では現在、中国と日本はお互い牽制し合っていますが、多くの日中の民間交流はその潤滑油となるものです。私は中国からのホームステイを受け入れたり、中国語を学んだり中国の歌を練習しています。政治認識には疎い私ですが、孫崎様はじめ、常連の鋭い洞察のコメントを読み学ばせていただいております。感謝大家!
休暇旅行で、また、仕事で年に数回、最近はより頻繁に私の住むドイツのフランクフルトから国境を越えてフランスに行く。車で、列車で一度は自転車で通過したこともあるが、「越える」という感覚は実感としてはなく、日本での感覚にたとえれば、かつて私が住んでいた宇治市から知らないうちに京都市に入っていたというのが一番実感に近い。検問所や税関はなくライン川や峠などの自然の地形が目印になっているか、そのようなものもなく緑の野原がただ広がっているだけのところもある。このような独仏国境を通る時いつも思うことがある。それは、19世紀以来何度も戦火を交え、夥しい戦死者を出した両国がこのような緑の国境を実現するために払われた両国の政治的指導者や市民の努力や思いのことだ。第2次大戦後、国交正常化のため初めて両国が結んだエリせー条約の中身は「両国首脳閣僚は毎年定期的に会って意見交換をする。」ということでしかなかった。しかし、この条約は両国首脳に未来永久に「対話を義務づけた」。「対話の継続」が如何に重要なことであったかはその後の歴史が証明している。歴代の首脳たちは今に至るまでこの義務を果たし続けているのだ。独仏の首脳はどんなに両国関係がぎくしゃくした時でも会って対話し、一度も会談をキャンセルしたことがない。あるときは独仏両文化の結節点とも言えるアルザス地方の庶民的なレストランで両文化の結晶のような地元の料理とワインをともにしながら関係修復を誓い合ったりもした。このような努力のうえに緑の国境は存在するのだ。
振り返って、日本はどうなのか。近隣の国々と意見や立場の違いを超えて対話する努力を十分にしているだろうか。ドイツの元首相ヘルムート・シュミットは日本に対しこう提言しいている。「日本はもっと近隣によい友人を持つべきだ」。経験の積み重ねからでたこの言葉に我々も耳を傾けるべきではないだろうか。