ぷぷんさん のコメント
このコメントは以下の記事についています
1925年の治安維持法の怖さは、特高警察などが「自分たちが国を守っている」という選良意識で、どんどん弾圧に邁進したことである。今その傾向が復活したようだ。
秘密保護法に対する国民の反対は極めて強かった。
まず世論調査は次のようになっている。
「共同通信社が8、9両日に実施した全国緊急電話世論調査によると、6日 に成立した特定秘密保護法を今後どうすればよいかについて、次の通常国会以降に「修正する」との回答は54・1%、「廃止する」との回答は28・2%で、合わせて82・3%に上った。「このまま施行する」との答えは9・4%にとどまった。」
そして国会周辺等のデモは万の単位に入った。
国民の圧倒的反対がある中、共謀罪への動きが出てきた。
「安倍政権が検討 五輪に向けテロ対策強化」
「政府は10日、殺人など重要犯罪で実行行為がなくても謀議に加われば処 罰対象と
①どうやら説明不足だったようですので、もう少し噛み砕きます。
“今、「政府」と言われる人々の感覚は完全に麻痺している。
この人々は、自分の住んでいる国がソ連であるとか共産中国とでも
思っているのであろうか。
怖いのは選良意識である。
国民は知らない。自分達だけが知っている。
我々は正しいことをしている。国民がなんだ
という意識である。”
繰り返しになりますが
“国民は知らない。自分達だけが知っている。”
「今、「政府」と言われる人々の感覚は完全に麻痺している。」から連なる文章の中で、
“「政府」と言われる人々”の選良意識― の解説と捉えるのが、ごく普通の読み方です。
・国民は知らない。 (― という選良意識である)
・自分達だけが知っている。 (― という選良意識である)
・我々は正しいことをしている。(― という選良意識である)
・国民がなんだ。 (― という選良意識である)
―とすると解かり易いですが、読みにくくなってしまいますね。
或は
・国民は知らない。自分達だけが知っている。 (― という選良意識である)
・我々は正しいことをしている。国民がなんだ。 (― という選良意識である)
の方が筆者の意図に近いかもしれませんが、いずれにしても
>国民が知らないのは、その法律が何を国民にもたらし、
どういう害を国民にもたらすかも知らない
と解釈すれば、
という解釈とは、どんなにアクロバティックなロジックを駆使しても繋がりようがありません。
②>「見苦しいですよ」というご意見は私個人に対する批評であり、個人攻撃です。
というのも、こちらの説明不足もありますが、間違った解釈です。
「見苦しい」という指摘は貴方の人格に対してではではなく
「捻じくれた解釈」と「捻じくれた解釈に基く書き込み」-つまり行為に対する指摘です。
私も貴方という個人には全く興味ありませんし、
「行為と人格を混同しない」-というのは、基本中の基本だそうですので、お互いに気をつけましょうね。
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