NakaBBさん のコメント
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報告(智恵子に)昭和二〇・一〇を読んでみた。
何故、今この詩を今一度読もうと思ったか。
かすかに、次の句があるような記憶をしていたからだ。
「日本はすつかり変りました。
あなたの身ぶるひする程いやがつてゐた
あの傍若無人のがさつな階級が
とにかく存在しないことになりました。」
昭和20年10月、日本は軍国主義、国家統制からさよならをしたと思えた。少なくとも多くの人々は、戦後の日本は、軍国主義、国家統制から無関係の社会に思えた。
しかし、見事復活しつつある。
「人間商売さらりとやめて、
もう天然の向うへ行つてしまつた智恵子」、そして、その状況が「人つ子ひとり居ない九十九里の砂浜の 砂にすわつて智恵子は遊ぶ。 無数の友だちが智恵子の名をよぶ。ちい、ちい、ちい、ちい、ちい―― 砂に小さな趾あしあとをつけて 千鳥が智恵子に寄つて来る。 口の中でいつでも何か言つてる智恵子が両手をあげてよびか
あれだけ日本という国(戦後を含め)を愛した司馬遼太郎が、戦前・戦中の日本を書こうと思うと精神的に参ってしまうというようなことをたびたび書いています。あの頃の精神状態を克服していない日本人が、自らの内在性で民主化に成功したということはありえないことだと僕も思っています。日本が今のように半植民地化状態にあるのも、あの頃誰かの手のひらの上で踊らされた記憶から抜けきれていないことに起因するのだと思っています。
いつか孫崎さんの分析をお聞きしたいのですが、ここに来て日本が大きく動こうとしているのはどうしてなのでしょうか?もしその背後に誰かの戦略があるのなら、ここまで強引に強行姿勢を見せているのはどうしてなのでしょうか?なぜ今なのか、そしてまだ失われていないと信じたい日本人の精神性が形あるものとして現れる道はどこにあるのか?もし今度本当に低次のナショナリズム流されてしまえば、そのとき本当に日本人の精神性はカネとモノと名誉に絡めとられてしまうと思います。
うまくいえませんが、この場所はとても信頼できます。そのことがとてもうれしく思います。
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