oldjapさん のコメント
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報告(智恵子に)昭和二〇・一〇を読んでみた。
何故、今この詩を今一度読もうと思ったか。
かすかに、次の句があるような記憶をしていたからだ。
「日本はすつかり変りました。
あなたの身ぶるひする程いやがつてゐた
あの傍若無人のがさつな階級が
とにかく存在しないことになりました。」
昭和20年10月、日本は軍国主義、国家統制からさよならをしたと思えた。少なくとも多くの人々は、戦後の日本は、軍国主義、国家統制から無関係の社会に思えた。
しかし、見事復活しつつある。
「人間商売さらりとやめて、
もう天然の向うへ行つてしまつた智恵子」、そして、その状況が「人つ子ひとり居ない九十九里の砂浜の 砂にすわつて智恵子は遊ぶ。 無数の友だちが智恵子の名をよぶ。ちい、ちい、ちい、ちい、ちい―― 砂に小さな趾あしあとをつけて 千鳥が智恵子に寄つて来る。 口の中でいつでも何か言つてる智恵子が両手をあげてよびか
PL紳士殿、「以前の中選挙区制に戻すべく、考え直す必要があります。そうすれば、今起きている、国会が国民の多数の気持ちから大きく遊離しているという異常な状態は、殆ど解消するのではないでしょうか」というご意見ですが、多分、それは間違いだと思います。むしろ、選挙制度を基本的なツールとして持っている、民主主義なるものが、古代ギリシャの都市国家や17世紀ごろのイギリスのように、選挙民がある一定の社会的基準以上の地位を持つ者だけに限られていた社会でのみ、選挙民(彼ら以下の人民は除外されている事に注意)にとって有効な制度であったのではないかと考えます。たとえば、最初の選挙では圧倒的な得票率で大統領に選ばれたオバマ氏ですが、最近の評価はかなり落ちています。その原因は民主主義そのものにあります。振り返れば共産主義もそれを信じた人たちにとっては、究極の善政をもたらすはずでしたが、共産主義に基づいたソ連はみじめに自壊してしまい、中国(PRC)はstate capitalismとも呼ばれるような社会になっています。民主主義もその功罪がはっきりしてきたということであり、中選挙区対小選挙区の違いも大同小異の類ではないでしょうか。既に申しあげたとおり、中国では自国のリーダーの選び方が独自の優れた方法であるという議論が出てきています(私はその考えにも納得していませんが)。
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