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NakaBBさん のコメント

第二次世界大戦はいろいろ考えさせられますね。アメリカは戦争を望んでいたことは確かだと思いますが、それにしても戦いを始めたのは日本です。愚かだと思いますが、あの状況で満州を手放すことができたかどうか?そして国民の意識がそれを許したかどうか、はなはだ疑問です。国民が帝国主義的な考え方を受け入れてしまったあの時代は、すでに道を間違っていたのだと思います。ではどこがターニングポイントだったのか?ヨーロッパの帝国主義にどう対処すべきだったのか、まともに議論されたまっとうな答えを聞いたことがありません。ただ関東軍は何かおかしなものを感じますね。まだ明らかになっていないことも多いのではないかと推測しています。
No.2
125ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
何故米国と戦争するという馬鹿な選択をしたのでしょうか。 異論を述べた人はいなかったのでしょうか。いました。しかし、異論を挟むことは犠牲の上に行われなければならない事でした。しかし、物を申す人は実はいたのです。 石田 礼助、戦争に反対して三井物産社長を辞任しています 真珠湾攻撃の決定に何らかの形で関与したのは軍人、政治家、外務省員等ですが、当時の三井物産社長の石田 礼助氏も関係しています。 彼の経歴を見てみたいと思います。 1939 年(昭和 14 年) - 代表取締役社長に就任 1941 年(昭和 16 年) - 退社 1941 年と言えば、真珠湾攻撃の年です。三井物産の社長が何か関係していたのでしょうか。していたのです。 城山三郎著『粗にして野だが卑ではない―石田礼助の生涯』を見てみたいと思います(抜粋)。 「昭和16年10月15日   三菱重工業社長・郷古潔、三菱商事会長・
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。