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フレデイ タンさん のコメント

「どこからも反応がなかった。唯一の反応が石田が三井高広に呼ばれたこと。石田はその場で辞表を書いた」

この文脈から米国と戦争して勝てるわけがない。国民も自分らも大損害を喰らう。そう考えたのは三井家、岩崎家、安田家、その他財閥だったと思います。英米はロスチャイルドやロックフェラーと意見を交換しながら戦争をしているのを彼ら財閥家は知っている。当時、彼我の差を嘆いていても可笑しくない時代です。石田は三井の大番頭です。財閥の意向で石田は動いたと思います。でも軍部の方針を変えることは不可能だった。あの西園寺公望も山形有朋も不快感を隠さなかったと言われています。

敗戦。占領軍が潰したのは終局的には財閥だけだった。日本の資本主義は国家資本主義として再スタートした。共産中国は日本の資本主義を勉強した。そして、1970年代から中国の資本主義がスタートした。日本は中国の兄貴分です。是非、今後とも仲良くやっていきたいと思います。日本人はバカじゃない。私は楽観視しています。
No.3
126ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
何故米国と戦争するという馬鹿な選択をしたのでしょうか。 異論を述べた人はいなかったのでしょうか。いました。しかし、異論を挟むことは犠牲の上に行われなければならない事でした。しかし、物を申す人は実はいたのです。 石田 礼助、戦争に反対して三井物産社長を辞任しています 真珠湾攻撃の決定に何らかの形で関与したのは軍人、政治家、外務省員等ですが、当時の三井物産社長の石田 礼助氏も関係しています。 彼の経歴を見てみたいと思います。 1939 年(昭和 14 年) - 代表取締役社長に就任 1941 年(昭和 16 年) - 退社 1941 年と言えば、真珠湾攻撃の年です。三井物産の社長が何か関係していたのでしょうか。していたのです。 城山三郎著『粗にして野だが卑ではない―石田礼助の生涯』を見てみたいと思います(抜粋)。 「昭和16年10月15日   三菱重工業社長・郷古潔、三菱商事会長・
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。