ちょこ太郎さん のコメント
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私は、日中であれ、日韓であれ、歴史の問題に重点を与えることには賛成しません。
しかし、それは何も過去の事実を否定するのでなく、事実を認めた上で、その問題を二国関係の主要案件にしない努力を双方でするということです。なすべきことは、両国が将来に向かって関係を発展することにつながるか否かです。
しかし、それは過去の事実を認めた上です。
慰安婦問題については、今その歴史的事実すら認めようとしない空気が日本の中に出ているのでないか。
日本では強制連行があったか否かに論点が行っているが、国際社会は、慰安婦という制度に軍が関与していることが主たる批判の対象である。
ここで『従軍慰安婦資料集』掲載の幾つかの事実を紹介する。
1:岡部直三郎(最終階級は陸軍大将)著『岡部直三郎の日記』
1932年3月14日の項
「この頃、兵が女を探しにうろつき、いかがわしい話をきくこと多し。積極的に施設を為
「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」
まず、"手記"の話からいこう。中曽根が慰安所設立の事実を書いたのは『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)。同書は戦中海軍に所属し、戦後各界で活躍した成功者たちが思い出話を語った本だが、その中で、海軍主計士官だった中曽根も文章を寄稿していた。
タイトルは「二十三歳で三千人の総指揮官」。当時、インドネシアの設営部隊の主計長だった中曽根が、荒ぶる部下たちを引き連れながら、いかに人心掌握し戦場を乗り切ったかという自慢話だが、その中にこんな一文があったのだ。
「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである」
これを否定するって恥知らずな政府です。
2014/09/10 「自分の体は、自分のもの」その権利を奪われた慰安婦は性奴隷 ~岩上安身による元自衛官・泥憲和氏インタビュー
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/168087#more-168087
これがわかりやすいですが、慰安所を作っても強姦、略奪は減らなかったようです。
皇軍の酷さがわかります。
「美しい国」?
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