ちょこ太郎さん のコメント
このコメントは以下の記事についています
今回の天皇実録で新しい発見は、昭和天皇が戦後、キリスト教に高い関心を払い、多くのキリスト教関係者と会っていることである。
この問題は個人的関心だけの問題ではなくて、戦後、特にマッカーサーが日本をキリスト教国家にしようとしていたことと関係がある。
この部分を『戦後史の正体』からみてみたい。
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一九四七年四月二五日、新しい日本国憲法のもとではじめての総選挙が行なわれました。その結果、片山哲がひきいる社会党が第一党になり、五月二四日に片山哲が首相となりました。
憲法制定後はじめての総選挙で社会党が第一党になるというのは、不思議に思われるかもしれません。しかし、食料すら満足にない時代です。社会的不満が高まるなか、国民が社会主義政党に投票したのはそれほどおかしなことではありません。
不思議なのは、占領下に社会党政権が
「1945年に日本を占領下に置き、事実上の統治者となったマッカーサーは、当初、国民よりだったのです。
彼はかなり保守的でしたが、国の統治についての理解は、政府が国民による国民の為の存在であることや、民主主義とは何かを学んだ第8学年(中学2年)のままだったからです。
もし彼が大学に進んでいたらまったく別だったでしょうね。
だからマッカーサーの改革は当初とても進歩的で、平和憲法を制定し、労働者の権利を認めたのです。
でも、ワシントンはこの展開に納得いかなかった。
彼らは、日本を企業によって運営される国にすることを望んでいたからです。
すぐに占領政策の方向転換が開始され、1947年に、「逆コース」と、呼ばれるこの反動が、現在に至るまでの日本の方向性を決めたのです。
解体された旧財閥は復活し、戦争犯罪人は釈放されて権力の座に復帰し、労働者の権利や組合には攻撃が加えられました。
ここから、企業による国家支配に基づいた、長い長い自民党一党支配が確立したのです。」
20世紀最高の知性の一人と言われているチョムスキー教授の言葉です。
彼は、ヨーロッパで連合軍が行ったことにも触れています。
「ヨーロッパ戦線の勝利者である英米連合軍が最初に行った事は、ナチに抵抗してきたパルチザンの撲滅でした。」
だそうです。
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