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amemamesoraさん のコメント

日経新聞、マッカサー回顧録を読んだところ、彼は天皇をカトリック教徒にしようとして、宮中で聖書研究会を開かせたそうです。天皇は聖書をしばらく勉強した後カトリック教徒に改宗する決意をマッカーサーに伝えたところ、将軍は「もうならなくてもよい」と答えたそうです。しかし三笠の宮はキリスト教徒になりたくてもなれない、自分の身を嘆きつつ、大学のチャペルでの礼拝へ出席しておられました。皇太子には英語教師としてプロテスタントの宣教師Mrs. Viningをつけました。彼がどんな少年であったかはWindows for Crown Princeに描かれています。皇太子が利口な少年であったとは書かれていません。
要は昭和天皇は保身のために何でもする臆病な人でした。昭和天皇と将軍が二人並んで写されている写真には天皇の弱さ(いろいろな意味で)がよく表れています。将軍に占領政策を提案したカナダ人宣教師の息子は自殺しました。これは謎ですが、将軍の占領政策と関係があるようでした。
No.7
123ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
今回の天皇実録で新しい発見は、昭和天皇が戦後、キリスト教に高い関心を払い、多くのキリスト教関係者と会っていることである。 この問題は個人的関心だけの問題ではなくて、戦後、特にマッカーサーが日本をキリスト教国家にしようとしていたことと関係がある。 この部分を『戦後史の正体』からみてみたい。 ******************************* 一九四七年四月二五日、新しい日本国憲法のもとではじめての総選挙が行なわれました。その結果、片山哲がひきいる社会党が第一党になり、五月二四日に片山哲が首相となりました。  憲法制定後はじめての総選挙で社会党が第一党になるというのは、不思議に思われるかもしれません。しかし、食料すら満足にない時代です。社会的不満が高まるなか、国民が社会主義政党に投票したのはそれほどおかしなことではありません。 不思議なのは、占領下に社会党政権が
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。