• このエントリーをはてなブックマークに追加

oldjapさん のコメント

>>18
『結局いろんな意味で力です。弱いものが負けるそれだけです。』― そのとおり!歴史を知ればそのことは明らかでしょう。英国はオランダをやっつけ、スペインをやっつけて大英帝国を創った。北アメリカの英国の植民地は毒りを宣言し、英国王の軍隊と戦い、ホワイトハウスまで焼き払われた。だが最後に勝った。その米国は、いわゆるアメリカンインディアンを片隅に押しやって彼らの土地を奪って膨張し、メキシコからテキサス、カリフォルニアを暴力でとりあげた。第二次大戦で英国はもともとは親類だったドイツとぶつかり、負けそうになって米国を味方につけ、やっと生き延びたが、それ以来、アメリカに頭が上がらなくなった。いま、大国となって台頭してきたのが中国だが、第二次大戦で徹底的に米国にやられた日本は自前の軍備を持つ事をb英国から禁止されてきたから、いわば、はだかに米国の軍服をつけているだけ。自前では一発のミサイルを撃つ事もできない。だからと言って自前で原爆を持つなんて馬鹿な夢はみても仕方がない。米国の尻馬にのっているふりをするしかないのだ。その方が楽でしょ。中国が戦争を仕掛けることはないだろう。だから、集団的自衛権なんてのも、実際にはほとんど絵に描いた餅だよ。だからそんなもので真剣に議論するのも馬鹿げている。憲法なんて日本人には無駄だ。それを理解し、真剣に議論する日本人が何人いると思うのかね。でから憲法改正も不要。
No.20
119ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
  『一期一縁』より  *******************************  一九五六年10月、現在昭和記念公園がある当時の北多摩郡砂川町に私はいた。  戦前の陸軍飛行場を接収した米軍立川基地の拡張に反対した「砂川闘争」だった。当時の宮崎町長を始め、砂川町の住民たちがこぞって反対し、安保条約に基ずく土地収用特別法による収用手続きのための測量に対し、体を張った闘争だった。  当初、砂川のお母さんや娘さんたちが、反対運動を展開し、デモを行い、座り込みで抵抗したが、すぐ警察機動隊に駆逐された。基地拡張に共鳴する労働組合や各種団体が加わったが、実際測量が始まると。それらの努力は雲散霧消して抵抗は微弱なものとなった。  砂川の婦人たちの間か「学生さんに応援してもらうことはできないものか」という声があがった。  そして、私に白羽の矢が立ち、学生達の総指揮官として砂川闘
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。