• このエントリーをはてなブックマークに追加

oldjapさん のコメント

あーそー。1956年は私が大学を卒業した年です。私は在学中勉強も遊びもあまりしないし、そういう左翼の連中の扇動にも心が動かされない、怠惰なノンポリの学生だった。今でも変りないが、私は宗教や極端な政治理論は信じないし、心が動かされない。会社員になっても会社のために一生懸命に働くのは、株主に濡れ手で泡の利益をもたらすためか、自分の給料を増やす目的のためだけであり、それ以上のものではないと思っていた。米軍の基地が広がるのがなぜ住民にとってそんなにいけないことなのか。住民が自分たちの欲望、我がままのために「闘争」したいなら、勝手にさせればいいじゃないか。なぜ縁もゆかりもない学生が棍棒を振り回し、論理性にかけるたわごとを大声で言うような運動に孫崎くんは参加したのかね。今になっても全く理解できない。思うに砂川の騒ぎは成田空港建設の時の土地所有者の騒ぎと同じ。また、一昨日、東京駅でカードを売りだしたとき、カードを買い損ねた連中が、JRの職員を罵った行為と全く同じ。要は自分の利益を訴えているだけなんじゃないか。自分に何か天から(?)与えられた権利があるように思っている馬鹿な連中だね。
No.4
120ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
  『一期一縁』より  *******************************  一九五六年10月、現在昭和記念公園がある当時の北多摩郡砂川町に私はいた。  戦前の陸軍飛行場を接収した米軍立川基地の拡張に反対した「砂川闘争」だった。当時の宮崎町長を始め、砂川町の住民たちがこぞって反対し、安保条約に基ずく土地収用特別法による収用手続きのための測量に対し、体を張った闘争だった。  当初、砂川のお母さんや娘さんたちが、反対運動を展開し、デモを行い、座り込みで抵抗したが、すぐ警察機動隊に駆逐された。基地拡張に共鳴する労働組合や各種団体が加わったが、実際測量が始まると。それらの努力は雲散霧消して抵抗は微弱なものとなった。  砂川の婦人たちの間か「学生さんに応援してもらうことはできないものか」という声があがった。  そして、私に白羽の矢が立ち、学生達の総指揮官として砂川闘
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。