• このエントリーをはてなブックマークに追加

フレデイ タンさん のコメント

日本開国前後から維新に参加した伊藤博文、山形有朋、西園寺公望、桂太郎らは英米の若い外交官らと付き合うことによって世界政治の冷酷な現実を、言わば、ON THE JOB TRAINING方式で深く理解していたと思います。ところが、帝国の軍は維新後に出来上がった。さしずめ、伊藤らはリアリスト、児玉らはロマンチストでしょうか。

戦後の日本を見ますと明治維新から敗戦にいたるまでの政治外交の経緯に似た傾向のあることに気が付きました。敗戦の苦い経験に教訓を得て政治を作って行こうとする意思を持って歴代続いた政治指導は鳩山由紀夫で終わり、菅直人以降、右傾化が激しくなり、安倍政権に至って大陸圧迫政策を取り始め、武力行使辞さずとの強い姿勢に変わりました。辺野古基地建設は米国を引きづり込むために不可欠なプロジェクトなんでしょうね。

我々民衆は百害あって一利もないこの時代錯誤の謀を不発に終わらせる必要があります。その為にはとにかく大マスコミを民衆の側に引っ張り込む必要があります。中国投資銀行のニュースは大きなクサビでした。それに続くクサビの打ち込みがなされるのを切に期待する次第です。
No.2
117ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
1906年5月22日、首相官邸において元老及び閣僚の「満州問題に関する協議会」が開かれました。満州を我が物にしようとする軍部の動きに懸念をもった伊藤博文の要請によって、開催されました。 鶴見祐輔は大作『後藤新平』を書きます。妻が後藤新平の娘でです。第二巻に次の記述があります。 「その出席者は元老、重臣、閣僚を網羅し、その論ずるところは大陸経営の根本に亘り、まことに日本膨張史上の一大事件であった」 何故、鶴見祐輔は「日本膨張史上の一大事件」と位置付けたのでしょうか。 日本国内では日露戦争後、満州を日本の利権としてこれを確保しようと動き ます。 これを止めるために、伊藤博文が会議を要請したのです。 この協議会では、満州を我が物にしていこうとする意見を陸軍参謀総長児玉源太郎が述べます。これに伊藤博文(元首相)が激しく反論します。 ここでは主に、伊藤博文の主張点を見てみたいと思います。 「 満州
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。