1906年5月22日、首相官邸において元老及び閣僚の「満州問題に関する協議会」が開かれました。満州を我が物にしようとする軍部の動きに懸念をもった伊藤博文の要請によって、開催されました。

鶴見祐輔は大作『後藤新平』を書きます。妻が後藤新平の娘でです。第二巻に次の記述があります。

「その出席者は元老、重臣、閣僚を網羅し、その論ずるところは大陸経営の根本に亘り、まことに日本膨張史上の一大事件であった」

何故、鶴見祐輔は「日本膨張史上の一大事件」と位置付けたのでしょうか。

日本国内では日露戦争後、満州を日本の利権としてこれを確保しようと動き

ます。 これを止めるために、伊藤博文が会議を要請したのです。

この協議会では、満州を我が物にしていこうとする意見を陸軍参謀総長児玉源太郎が述べます。これに伊藤博文(元首相)が激しく反論します。

ここでは主に、伊藤博文の主張点を見てみたいと思います。

満州