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言葉にできないさん のコメント

対米従属という問題が、結局、損か得かで議論されていることに物足りなさを覚える。「損得」は、つねに、短期的なビジョンしか与えない。
長続きするものは、皆が真から共感するものだけだ。対米従属というのは国家として自立していないということだから、そんな国を誇りにする人は誰もいない。しかし、軍事的、経済的にメリットがあるから対米従属するのだろう。
これでは、若い世代がモラルハザードを起こしても、大人は文句を言う資格がない。自分の国を属国にした大人の言うことを青年が聞くはずがない。
今の日本の問題は、先人が千数百年の歴史の中で積み上げてきた価値観がかえりみられないことである。本来の日本人は「メリット」などという言葉で動くことを卑しんだ。「義」で動くことを人の道とした。効率的に利潤を上げるといった発想は日本文化にはなかった。また、「経済」を優先するのが「現実的」という発想もなかった。それは、近代化以後に「富国強兵」のスローガンといっしょに持ち込まれたものだ。それは、西欧の作った文明のなかに入って、列の最後に並ぶことを意味していた。
もう、西欧の後ろに並ぶのは終わりにして、小さくてもいいから、別の列をつくって先頭に立ってもいいんじゃないか。西欧人の価値観と日本人のそれは相容れない。好きなもの、大事にするもの、生命観、ことごとく違う。
中国の後ろに並ばなくてもいいが、欧米の後ろにつく必要もあるまい。日本人は、欧米や中国に劣らず商売がうまい国民だ。独立独歩でやっていける。
No.3
118ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
A: 事実関係 外務事務次官や駐米大使を歴任し、日中国交正常化交渉や沖縄返還交渉に携わった栗山尚一さんが1日、肺炎のため東京都内の病院で死去した。83歳だった。 東京大学法学部を中退して、1954年外務省入省。佐藤栄作首相と米国のニクソン大統領との沖縄返還交渉に参画し、72年の日中国交正常化の際には、条約課長として日中共同声明の原案作成に携わった。  外務省条約局長、北米局長、駐マレーシア大使などを経て、89年に外務事務次官。次官在任中には、91年の湾岸戦争の対応に当たった。92~95年に駐米大使。 B: 見解 ・栗山氏は、今日の日米関係強化の基礎を築いた人物である。  ただ、同人は極めて冷徹な評価に基づいて日米関係強化をのべていたので、今日のような盲目的対米重視ではない。彼が外務次官時代、冷戦の崩壊で、米国一極支配の時であり、この時、対米強化を論ずるのは、それなりの合理性はあった。
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。