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NakaBBさん のコメント

昔、NHKnおドラマで「負けて勝つ」というのがあったが、そういう発想ってどうなの?と思ったことはある。屈辱に耐え忍んで利益を勝ち取るという意味合いなのか?あるいは好き勝手させてそのおばか丸出しの様を馬鹿にしているのか?でも十分お前も馬鹿だろうって思ってしまう。つまり「負けて勝つ」なんて発想は成り立ちにくい。第一、吉田茂のせいで未だに米軍は日本の中で大きな顔をしている。日米地位協定は事実上の不平等条約だ。こいつが対米従属を固定化したのだ。難しい時代だったので、吉田がやらなかったら吉田は切られ、誰か他の人間をアメリカが選び、誰かがが同じことをしただろう。でも吉田は内閣総理大臣の地位を得ることと引き換えにアメリカの要求飲んだともいえる。そういう人間の群れが今の日本の対米従属構造を作ったのだ。そういうことをしない人間が芋の日本にどれくらいいるのだろう?あなたはNOといえますか?
No.3
118ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
吉田茂はこの時代、重要な役割を演じています。彼は戦後数々の著作を行っていますが、戦前の軍部との協力関係についてほとんど記述していません。 従って吉田論には戦前の軍部との協力についてすっぽり抜ける場合が非常に多いのです。 吉田茂著『日本を決定した百年』では、あたかも自分が部外者であったかのように記述しています。 ・植民地は国力の重要な源泉であった。それゆえ、狭い国土と貧弱な資源しかもっていないことは日本の弱味であったし、それを憂うる人も少なくなかった。 ・内戦のもたらす混乱状況と、その中で行われる排日運動は中国と満州を圧迫していた。満州のシナ側軍閥は日本人に対して極めて高圧的な姿勢をとり、日本政府はこれに対して十分に日本国民の利益を保護しなかった」 すでに見てきたように、中国に対峙するのに、外務省には二つの流れがありました。 小村寿太郎―山座円次郎―広田弘毅の系統です。これは満州の利権を
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。