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外務省の国際協調を軍従属に変更は吉田茂。猟官運動で田中義一内閣の外務次官に。
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外務省の国際協調を軍従属に変更は吉田茂。猟官運動で田中義一内閣の外務次官に。

2015-04-04 06:25
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吉田茂はこの時代、重要な役割を演じています。彼は戦後数々の著作を行っていますが、戦前の軍部との協力関係についてほとんど記述していません。

従って吉田論には戦前の軍部との協力についてすっぽり抜ける場合が非常に多いのです。

吉田茂著『日本を決定した百年』では、あたかも自分が部外者であったかのように記述しています。

・植民地は国力の重要な源泉であった。それゆえ、狭い国土と貧弱な資源しかもっていないことは日本の弱味であったし、それを憂うる人も少なくなかった。

・内戦のもたらす混乱状況と、その中で行われる排日運動は中国と満州を圧迫していた。満州のシナ側軍閥は日本人に対して極めて高圧的な姿勢をとり、日本政府はこれに対して十分に日本国民の利益を保護しなかった」

すでに見てきたように、中国に対峙するのに、外務省には二つの流れがありました。

小村寿太郎―山座円次郎―広田弘毅の系統です。これは満州の利権を

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いやいや、驚きです。吉田茂は白洲次郎と同じく根っからの英米派の男で軍部に対して反骨を通した剛の者と思っていました。この記事に接し、吉田茂の長男の健一がケンブリッジをドロップアウトして文士に生きた理由が分かったように感じます。

思うに、敗戦後、満州経営に積極的に関わった諸君が集団でマッカーサー政権に身売りする、いや就職する変わり身の速さは今のサラリーマンや若手官僚の鏡ですかね。まー考えて見れば、一人で乗り込んできたマッカーサーも彼らのゴマスリには抗しきれなかったのでしょう。兎に角、彼らは裏金操作も上手で事務能力も抜群、使い勝手が良い。彼らの指導のもとに、日本人は、戦後、いち早く米国市場に適応し、経済ナンバー2になったわけですから。しかし、大きなものが抜けていました。つまり、ドイツが育んだ懺悔の精神です。そういう精神が育まれなかったから、デーモンみたいな安倍、麻生体制が生まれた。これは日本人が精神を育まなかったために抱え込んだツケです。ツケは我々が払わなくてはいけない。早く払わないと延滞金利が嵩む。

出来るだけ早くまず大メデイアの権力からの離反を促す。それしか方法はない。

No.2 117ヶ月前

昔、NHKnおドラマで「負けて勝つ」というのがあったが、そういう発想ってどうなの?と思ったことはある。屈辱に耐え忍んで利益を勝ち取るという意味合いなのか?あるいは好き勝手させてそのおばか丸出しの様を馬鹿にしているのか?でも十分お前も馬鹿だろうって思ってしまう。つまり「負けて勝つ」なんて発想は成り立ちにくい。第一、吉田茂のせいで未だに米軍は日本の中で大きな顔をしている。日米地位協定は事実上の不平等条約だ。こいつが対米従属を固定化したのだ。難しい時代だったので、吉田がやらなかったら吉田は切られ、誰か他の人間をアメリカが選び、誰かがが同じことをしただろう。でも吉田は内閣総理大臣の地位を得ることと引き換えにアメリカの要求飲んだともいえる。そういう人間の群れが今の日本の対米従属構造を作ったのだ。そういうことをしない人間が芋の日本にどれくらいいるのだろう?あなたはNOといえますか?

No.3 117ヶ月前

本コメントと関連があるのであろうか。神戸大学 姜弘氏の「東方会議」「対満政策私見」から見た吉田茂の時代錯誤がある。吉田茂28歳から13年間中国とのかかわりがあり、中国事情に精通した外交官であり、軍閥私閥が交戦し混沌とした中国にあって、列強特に英米との協調を重視した、当時の時代の投影であり、時代の産物であり、時代の錯誤であったと述べている。満鉄、軍部、外務省の3部門が鼎立する中で、現場を見、情勢を分析し、対処方法を述べた「対満政策私見」は、善悪は別にして卓越したものであり、田中首相(外相)の心を揺さぶったのでしょうか。現場から発信するプロの外交官であったことは間違いないようだ。判断は上司がするものであって、吉田茂氏に責任を負わせることはできないのではないか。

No.4 117ヶ月前

そういえば戦前の話をしているのだった。戦前といえば吉田茂の養父はジャーディ・マセソンだったな。武器証人だから、軍部やアヘンにもつながりがある。吉田茂が中国侵略派だったことは知らなかったが、今の軍産複合体に組する人間だったのかもしれない。ろくなもんじゃない。

No.5 117ヶ月前

歴史にはそれほど詳しい訳ではないので、明治維新の坂本龍馬とか高杉晋作とか調べても、武器商人だったり、高杉晋作などテロリストとしか思えず、ラインがどうも掴めなかったのです。ところが最近明治維新はマイノリティーを使って政権を転覆させ植民地化していく欧米の政策という見方を知り、納得することばかりです。田布施システムという同じ地域の人ばかりが政治の重職につき、彼らを東京地検が調べることもない。本当かどうか調べ続けていますが、調べれば調べるほど新たな真実にまた納得するばかりです。
吉田茂は田布施出身ではなかったが、マセソンの養子だったのですね。龍馬が武器を調達したのもマセソン商会、マセソン5と呼ばれる英国留学組の一人が伊藤博文。そして武器、アヘンといえば、岸信介とともに巣鴨プリズンから無罪放免された笹川・児玉両氏もつながります。そしてそれが現在の安倍首相まで続いているとは。田布施システム大成功ということでないでしょうか。

No.6 117ヶ月前

そこまで馬鹿にされなければいけないことだろうか?陰謀論ではなく可能性の話をしているわけで、点を線でつないだわけじゃない。性的マイノリティーを使ったシステムの話をしたわけでもない。田布施に関しては分からないことが多いが、やはり長州や薩摩に何らかの拠点を作った可能性は排除しかねる部分はある。なぜマセソンがフィンガーファイブの留学を斡旋する必要があるのだ?井上馨ファミリーの鮎川や久原は怪しすぎだ。久原はコードネーム付きのCIAエージェントだぞ。イギリスからアメリカにどこかで(戦後)鞍替えしただけではないのか?

陰謀論に組するのではなく、怪しい部分があるのを排除しかねるといっているのだ。

No.7 117ヶ月前

吉田氏も1人の日本人に過ぎず、日本国という、辺境国家の外交官僚が持つ限界のなかで努力し、その後も、総理大臣として国のため、半分は自分のために努力した人物だろう。その吉田氏を、別の外交官としての経歴を持つ孫崎氏が分ったふりをして批判するのは勝手だが、外交官として次官にもなれなかった孫崎氏の解析には自ずと限界がある。うだつが上がらずに終わった人間が、もと勤務した会社の社長を批判するのと台差はない。

No.8 117ヶ月前
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