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younghopeさん のコメント

本コメントと関連があるのであろうか。神戸大学 姜弘氏の「東方会議」「対満政策私見」から見た吉田茂の時代錯誤がある。吉田茂28歳から13年間中国とのかかわりがあり、中国事情に精通した外交官であり、軍閥私閥が交戦し混沌とした中国にあって、列強特に英米との協調を重視した、当時の時代の投影であり、時代の産物であり、時代の錯誤であったと述べている。満鉄、軍部、外務省の3部門が鼎立する中で、現場を見、情勢を分析し、対処方法を述べた「対満政策私見」は、善悪は別にして卓越したものであり、田中首相(外相)の心を揺さぶったのでしょうか。現場から発信するプロの外交官であったことは間違いないようだ。判断は上司がするものであって、吉田茂氏に責任を負わせることはできないのではないか。
No.4
117ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
吉田茂はこの時代、重要な役割を演じています。彼は戦後数々の著作を行っていますが、戦前の軍部との協力関係についてほとんど記述していません。 従って吉田論には戦前の軍部との協力についてすっぽり抜ける場合が非常に多いのです。 吉田茂著『日本を決定した百年』では、あたかも自分が部外者であったかのように記述しています。 ・植民地は国力の重要な源泉であった。それゆえ、狭い国土と貧弱な資源しかもっていないことは日本の弱味であったし、それを憂うる人も少なくなかった。 ・内戦のもたらす混乱状況と、その中で行われる排日運動は中国と満州を圧迫していた。満州のシナ側軍閥は日本人に対して極めて高圧的な姿勢をとり、日本政府はこれに対して十分に日本国民の利益を保護しなかった」 すでに見てきたように、中国に対峙するのに、外務省には二つの流れがありました。 小村寿太郎―山座円次郎―広田弘毅の系統です。これは満州の利権を
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。