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oldjapさん のコメント

吉田氏も1人の日本人に過ぎず、日本国という、辺境国家の外交官僚が持つ限界のなかで努力し、その後も、総理大臣として国のため、半分は自分のために努力した人物だろう。その吉田氏を、別の外交官としての経歴を持つ孫崎氏が分ったふりをして批判するのは勝手だが、外交官として次官にもなれなかった孫崎氏の解析には自ずと限界がある。うだつが上がらずに終わった人間が、もと勤務した会社の社長を批判するのと台差はない。
No.8
118ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
吉田茂はこの時代、重要な役割を演じています。彼は戦後数々の著作を行っていますが、戦前の軍部との協力関係についてほとんど記述していません。 従って吉田論には戦前の軍部との協力についてすっぽり抜ける場合が非常に多いのです。 吉田茂著『日本を決定した百年』では、あたかも自分が部外者であったかのように記述しています。 ・植民地は国力の重要な源泉であった。それゆえ、狭い国土と貧弱な資源しかもっていないことは日本の弱味であったし、それを憂うる人も少なくなかった。 ・内戦のもたらす混乱状況と、その中で行われる排日運動は中国と満州を圧迫していた。満州のシナ側軍閥は日本人に対して極めて高圧的な姿勢をとり、日本政府はこれに対して十分に日本国民の利益を保護しなかった」 すでに見てきたように、中国に対峙するのに、外務省には二つの流れがありました。 小村寿太郎―山座円次郎―広田弘毅の系統です。これは満州の利権を
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。