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younghopeさん のコメント

現代文化会議「太平洋戦争の起源」講師秦郁夫氏のお話を聞いてきました。事務局の方が、開戦時、米国の情報をどのように把握していたか?と質問したのに対し、「情報提供者は情報を求める人に合わせた情報を提供する。情報を求める人には、情報を求める人に合わせた情報提供者が群がる」という話は、うなずけることが多々あります。
孫崎さんの話にもありましたが、外務省の各国大使館が、東京にイラクなどのように的確な情報を提供しても、上司は局長、次官の意向を忖度し、上にあげることなく、抹殺してしまう。誤った判断がまかり通ることになる。
安倍首相のように、方向が明確化していると、安倍首相と同じ方向で、同レベルの人しか意見具申できなくなり、国内はともかくとして、国際社会と遊離しかねない。
No.6
116ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
歴史には必ず「 IF 」の局面が出る。  「あの時こうであれば」という局面である。 「日米開戦でもそういう局面はある。  近衛内閣が崩壊し、東条内閣ができて、東条は日米開戦にむけ、突っ走る。  ここで{ IF }を考えてみたい。 ・東久邇宮は日米開戦に強く反対していた。 ・その旨を東条陸相にもはっきりと述べている、 ・近衛内閣崩壊の時、最有力だったのは、東久邇宮であった、 ・もし、東久邇宮が首相になっていれば少なくとも数か月は戦争に入っていない、 ・この間に欧州では戦線が劇的に変わっていく。ドイツがソ連と戦い、敗走していく。  主戦論の多くは「勝ち馬に乗れ、ドイツに乗れ」であった。ドイツはいそうという事態になれば、一気に軍部の空気が変わる。  ・ではなぜ、東久迩でなく東条が首相になったか。その責任は昭和天皇と、木戸内相にある。 その部分を『日米開戦の正体』から引
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。