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younghopeさん のコメント

尖閣諸島棚上げと日中友好条約の当時の状況を間文化的に直視する必要があります。

①当時、日本は、輸出量の限界にあり、新たな販路の開拓が必要であり、中国市場は日本の企業にとっては魅力的な市場であった。
②中国は経済的発展なくしては国力の拡大はできず、政経分離して、外国との交易を求めていたが、米国が大きな壁となって、経済拡大策が進まない状況にあった。

このような状況の時、我々の先人たちは、裏表の外交を活発化させ、尖閣を棚上げにして、中国とウイン、ウインの関係を得るために、尖閣棚上げを行ったのは、日中の当時の状況からは、必然的流れであった。日本は中国との交易に狂喜し、細部に及ぶ技術移転まで行ってきた。節操のない中国詣での結果が今の姿であり、現在の中国に不満があるというのであれば、責任は日本にあるといえる。日本は、節操なく、世界のどこでも、エコノミックアニマルの言葉のとおり、モノを売り歩いたのです。当時はそのようなことができたのです。問題は一流の経済大国になり、有り余るお金を保有し、世界一の債権国になりながら、過去の亡霊「エコノミックアニマル」を再現しようとしています。さらに大きな問題は、米国の警察機能の肩代わりをしようとしていることである。具体的には、近隣諸国、特に中国の海外進出に対し、日本が米国の権益を守ろうとしており、中東ではイスラエルの国力拡大に手を貸そうとしています。このような動きは、積極的平和主義ではなく、日本が先頭に立って、中露との敵対関係を拡大しかねないといえます。日本の利益と合致した先人の近隣諸国との友好関係の基盤が、安倍政権によって瓦解していく姿は、日本の歴史を間文化的の鳥瞰直視できない愚かさの表れであるといえます。
No.1
115ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
日米関係を考える際、極めて重要なポイントは、「戦後日本が海外から攻撃されなかったのは米軍がいたからか」という点である。 この問題を考える際、第2次大戦以降の国際関係の流れを考える必要はがある。 第2次大戦以降、軍事関係を構築してきたものに4つの大きい特色がある。 第一に核保有国米国とソ連(ロシア)、米国と中国は絶対に戦争できないという考えが当事者に成立していることである。 米国が核兵器の分野ではソ連(ロシア)や中国に圧倒的に勝っている。しかし、如何に勝っていても、ソ連(ロシア)や中国が米国を核攻撃で先制攻撃すれば、米国は崩壊する。 ソ連(ロシア)や中国もまた、米国が核攻撃すれば、国は消滅する。  軍事衝突になれば、途中でやめられない。どんどんエスカレーションする。したがって、 米国とソ連(ロシア)、米国と中国は軍事紛争に入るのを極力避けてきた。  これと関係し米国は悪兵器の使用を避けてき
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。