なしさん のコメント
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日米関係を考える際、極めて重要なポイントは、「戦後日本が海外から攻撃されなかったのは米軍がいたからか」という点である。
この問題を考える際、第2次大戦以降の国際関係の流れを考える必要はがある。
第2次大戦以降、軍事関係を構築してきたものに4つの大きい特色がある。
第一に核保有国米国とソ連(ロシア)、米国と中国は絶対に戦争できないという考えが当事者に成立していることである。
米国が核兵器の分野ではソ連(ロシア)や中国に圧倒的に勝っている。しかし、如何に勝っていても、ソ連(ロシア)や中国が米国を核攻撃で先制攻撃すれば、米国は崩壊する。
ソ連(ロシア)や中国もまた、米国が核攻撃すれば、国は消滅する。
軍事衝突になれば、途中でやめられない。どんどんエスカレーションする。したがって、 米国とソ連(ロシア)、米国と中国は軍事紛争に入るのを極力避けてきた。
これと関係し米国は悪兵器の使用を避けてき
その他の戦線はそれに比べれば付けたりにすぎない。
戦勝の功績を、西側政治家やハリウッドの戦争映画脚本家がソ連
から盗んだ。
さきの戦争が日本にとって絶対勝ち目のないものだったかといえば
そうとも言えない。
一度だけ絶好のチャンスはあった。
それはドイツ軍が激しくソ連を攻めている時、シベリアから関東軍が
ソ連の背後に襲いかかることだった。
松岡洋右はそれを主張したが、はねつけられた。
時期を待て、と。
そのあと対日本に備えていたシベリアのソ連軍は
独ソ戦に投入されドイツはやぶれた。
歴史のifだけど、あの時松岡のいうとおりにしておけば世界史には
巨大な変更が加えられていただろう。
どうだ、戦争はやってみなければ分からんと言っただろうと東条は
呵呵大笑することになったかもしれない。
さて、前置きがながくなった。
日米安保条約とは何か。
それは冷戦が熱戦となったとき、NATO軍とワルシャワ条約機構軍が
欧州正面で激突する。
その時に、日本にソ連の背後を襲わせることを強いる仕組み、それこそが
日米安保条約の存在理由だった。
ソ連は北海道侵攻など頭の片隅にもなかった。
ただただ強力な欧州のNATO軍をみていた。
強力な地上軍をそのために作り上げた。
日本を西欧を守るための捨て石にするのが安保の存在理由だった。
冷戦化では。
CIAの資金で育った自民党売国政権はもちろんそれは百も承知で
ご主人に従ってきた。
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