• このエントリーをはてなブックマークに追加

younghopeさん のコメント

裁判官を選任する権限が行政府にあって、その権力執行に当たっては、判例とか学者の意見が充分加味されるときは、社会が大きく変わることはない。今回のように、積み上げられた定説を、一気に最初に巻き戻してしまうと、現在でもご指摘のように問題があるのに、社会の在り方が国民主権でなく、体制権力社会に変質し、体制に合わない人は、少なくとも組織から阻害され、最悪の場合社会から抹殺されてしまう。
当然、教育も、国民主権の教育でなく、体制順応教育が徹底されていく。すさまじい巻き戻しが行われており、裁判官だけでなく、あるゆる分野で起きてくるのでしょう。与野党の国会議員も政権に加担し、国会議員ですべてを決められるのだという特権意識が大きく渦巻いているように見える。
集団的自衛権は、違憲だとわかっていながら、合憲と主張する、黒を白と強弁するに似ています。国会議員の多数で、法律化するのでしょう。法律化してからは、憲法を改正しなければいけないのだという得意の詭弁を使うことになる。現在の自衛隊は、憲法に違反する可能性が高いのだから、自衛隊を正当化するには、憲法を改正しなければならない。改正しなければ、専守防衛の自衛さえできなくなってしまうということになるのでしょう。勝手な論理であるが、堂々と主張するのではないか。ただ、国民を説得できる可能性は低いとみています。
No.1
114ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
2000 年代以降、日本社会は至るところで荒廃してきた。 瀬木比呂志( 1979 年以降裁判官、 2012 年明治大学教授に)著『絶望の裁判所』より。 ***************************** 良識派は上にはいけないというのは官僚組織、あるいは組織一般の常かもしれない。しかし、企業であれば、上層部があまりに腐敗すれば業績に響くたら、一定の自浄作用がはたらく。ところが、官僚組織にはこの自浄作用が期待できず、劣化、腐敗はとどまることを知らない。 私が若かったころには、裁判官の中には、まだ“生涯一裁判官”の気概があり、そのような裁判官を、尊敬する気風も、ある程度は存在していたと思う。 裁判官のなかには、確かに、品性のある、紳士の名に値するような人物もかなり存在したと思う。 しかし、 2000 年代以降の裁判所の流れは、そのような気概や気風もほぼ一掃してしまったように感じられる。 現在、マ
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。