名を正すさん のコメント
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2000 年代以降、日本社会は至るところで荒廃してきた。
瀬木比呂志( 1979 年以降裁判官、 2012 年明治大学教授に)著『絶望の裁判所』より。
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良識派は上にはいけないというのは官僚組織、あるいは組織一般の常かもしれない。しかし、企業であれば、上層部があまりに腐敗すれば業績に響くたら、一定の自浄作用がはたらく。ところが、官僚組織にはこの自浄作用が期待できず、劣化、腐敗はとどまることを知らない。
私が若かったころには、裁判官の中には、まだ“生涯一裁判官”の気概があり、そのような裁判官を、尊敬する気風も、ある程度は存在していたと思う。
裁判官のなかには、確かに、品性のある、紳士の名に値するような人物もかなり存在したと思う。
しかし、 2000 年代以降の裁判所の流れは、そのような気概や気風もほぼ一掃してしまったように感じられる。
現在、マ
このように非民主主義的体質はしっかりと温存されたまま今日まで来てしまいました。今や、その本来の体質に急速に戻りつつあります。馬脚を現すとはこのことです。
現行憲法の骨格である国民主権、基本的人権、平和主義は、それを手に入れるために闘い流した血によってではなく、反対のこと、つまり非民主主義国家であった日本が他国を侵略しようとした戦争に敗れ流した血によってもたらされたのです。日本で生活していれば、子供のころから大人になるまでに、家庭でも、学校でも、社会でも、いたる所でその本来の非民主主義的体質を目撃し、体験した経験は誰にでもあるはずです。今や、司法だけでなく、現政権はその体質を露わにしています。いや、マスコミ、経済界の主流はすべて本来の体質を如何なく発揮しつつあります。私たちは、まずこの事実をはっきりと確認し、油断していると本来持つ非民主主義的体質に戻りやすいことに自戒しなければなりません。民主主義を勝ち取るために払うべき代償を払わずに、世界に向かって民主主義の普遍的価値を共有しているなどと言えません。私たちは、歴史に借りがあるのです。闘って、借りを少しでも返したいと思います。
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