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名を正すさん のコメント

民主主義は、現行憲法とともに日本にもたらされました。残念ながら、それは国民が闘って勝ち取ったものではありません。非民主主義国家であった日本が、戦争に負けた結果、民主主義国家になったのです。非民主主義的体質は依然として日本の風土に残ったままだったのです。特に、戦後まもなく始まった冷戦の結果、旧勢力が支配者として復活しましたが、彼らはもともと非民主主義的思想の持ち主でしたから、現行憲法を否定するのは当然です。現行憲法と対になっている民主主義は彼らにとって不愉快なものであり、それを具現化した憲法は憎むべき対象であったのです。
このように非民主主義的体質はしっかりと温存されたまま今日まで来てしまいました。今や、その本来の体質に急速に戻りつつあります。馬脚を現すとはこのことです。
現行憲法の骨格である国民主権、基本的人権、平和主義は、それを手に入れるために闘い流した血によってではなく、反対のこと、つまり非民主主義国家であった日本が他国を侵略しようとした戦争に敗れ流した血によってもたらされたのです。日本で生活していれば、子供のころから大人になるまでに、家庭でも、学校でも、社会でも、いたる所でその本来の非民主主義的体質を目撃し、体験した経験は誰にでもあるはずです。今や、司法だけでなく、現政権はその体質を露わにしています。いや、マスコミ、経済界の主流はすべて本来の体質を如何なく発揮しつつあります。私たちは、まずこの事実をはっきりと確認し、油断していると本来持つ非民主主義的体質に戻りやすいことに自戒しなければなりません。民主主義を勝ち取るために払うべき代償を払わずに、世界に向かって民主主義の普遍的価値を共有しているなどと言えません。私たちは、歴史に借りがあるのです。闘って、借りを少しでも返したいと思います。
No.3
114ヶ月前
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2000 年代以降、日本社会は至るところで荒廃してきた。 瀬木比呂志( 1979 年以降裁判官、 2012 年明治大学教授に)著『絶望の裁判所』より。 ***************************** 良識派は上にはいけないというのは官僚組織、あるいは組織一般の常かもしれない。しかし、企業であれば、上層部があまりに腐敗すれば業績に響くたら、一定の自浄作用がはたらく。ところが、官僚組織にはこの自浄作用が期待できず、劣化、腐敗はとどまることを知らない。 私が若かったころには、裁判官の中には、まだ“生涯一裁判官”の気概があり、そのような裁判官を、尊敬する気風も、ある程度は存在していたと思う。 裁判官のなかには、確かに、品性のある、紳士の名に値するような人物もかなり存在したと思う。 しかし、 2000 年代以降の裁判所の流れは、そのような気概や気風もほぼ一掃してしまったように感じられる。 現在、マ
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。