• このエントリーをはてなブックマークに追加

m.m.さん のコメント

裁判官になるには、司法試験という難関を突破しなくてはならない。司法試験に合格しても、裁判官は狭き門で、多くは検察官や弁護士になる。
司法試験に合格するには、幼い頃からガリ勉の連続で、友達とのつきあいなどしていられない。
その結果、世間とは隔絶し、貧乏人の苦悩など理解できない人間しか裁判官になれないシステムができあがってしまった。
裁判官になってからも、特定の官舎に住むことになっており、一般社会の問題を理解できないのだという。
しかも、行政の下部組織なのだから、ヒラメ裁判官になるのは当然だろう。
No.4
114ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
2000 年代以降、日本社会は至るところで荒廃してきた。 瀬木比呂志( 1979 年以降裁判官、 2012 年明治大学教授に)著『絶望の裁判所』より。 ***************************** 良識派は上にはいけないというのは官僚組織、あるいは組織一般の常かもしれない。しかし、企業であれば、上層部があまりに腐敗すれば業績に響くたら、一定の自浄作用がはたらく。ところが、官僚組織にはこの自浄作用が期待できず、劣化、腐敗はとどまることを知らない。 私が若かったころには、裁判官の中には、まだ“生涯一裁判官”の気概があり、そのような裁判官を、尊敬する気風も、ある程度は存在していたと思う。 裁判官のなかには、確かに、品性のある、紳士の名に値するような人物もかなり存在したと思う。 しかし、 2000 年代以降の裁判所の流れは、そのような気概や気風もほぼ一掃してしまったように感じられる。 現在、マ
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。