• このエントリーをはてなブックマークに追加

Denchubinさん のコメント

 1942年5月「日本文学報国会」が誕生し、詩部門の部会長は高村光太郎でした(孫崎さんの『日米開戦の正体』p.432)。欧米に留学体験があり近代精神を体得していたはずの光太郎が戦時中は戦争協力していました(ほとんどすべての文学者がそうであったように)が、敗戦後の自己批判の苛烈さで光太郎は際だっています。なぜ自分が戦争協力に導かれたのかを一連の詩(『暗愚小伝』)で解明しようとしたのです。それは一言で言えば、「天皇あやうし」という臣民意識でした。
 そして自己批判の徹底から、戦後の民主主義が与えられたもので、本当に日本人民の手で勝ち取ったものでない軽薄さに気づいていました。
 私は学生時代以来40年ぶりくらいに8・30国会包囲抗議集会に地方から参加しましたが、その時思い出したのが、「結果を思って行動するのは卑しい」という光太郎の詩の一節でした。強行採決されるのはほぼ決まっていたけれども、それでも抗議の声を挙げなければならないという気持ちでした。そしてハンストする学生達やシールズを実際に見て、この国の若い人たちが民主主義を本当に実現するために立ち上がっているという実感をもったのです。「いきいきした新しい世界を命にかけてしんから望んだ さういふ自力」が生まれているという実感。
 冷笑する人も多いだろうと思いますが、私は「そういふ自力」に加担して行きたいと思っています。 
No.1
110ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
1:安全保障関連法案、何が問題か 日本の国家が「民主主義国家」か、「法治国家」かが問われる 「民主主義国家」の点では国民の過半数が集団的自衛権に反対、安全保障関連法案の成立に反対した。日本国家は国民主権を大前提としている。国民は国会議員を選出する。国会議員はあくまで、国民の意思を実行するために存在する。国会議員にすべてを授権し、好きにしてもらう制度ではない。国の行方を左右する問題では国民の意思を最大限に尊重することを基本とする。しかし、安倍政権は国民の反対の声に配慮することなく、強引に法案の成立を行った。民主主義を前提に国家の経営を行うという前提が大きく崩された。 「法治国家」であるかの点については  ①大森、宮崎、坂田(少なくとも一時期)、角田元内閣法制局長官が違憲ないし疑問の発言 ②山口繁・元最高裁長官「集団的自衛権の行使を認める立法は、違憲」 ③憲法学者の約95%が違
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。