フレデイ タンさん のコメント
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今、『天皇と軍隊』という映画が上映されている。
製作: 2009 年 , フランス
日本公開: 2015 年 8 月 8 日
さまざまな問題を内蔵している。
私は、昭和天皇は、戦後、処刑される可能性のある中、「命」と「地位」をマッカーサーから与えられた。それと引き換えに従米政策路線をとった。戦後史の中で、日本が米国に隷属する路線を取る中で、天皇は極めて大きい役割を演じたと思う。
昭和天皇が退位することと、天皇制廃止は同じではなかった。その意味で、天皇は戦争責任を認識し退位し、現天皇に移すべきであったと思う。
この映画も昭和天皇が天皇であり続けたことと、日本の対米従属の関連を述べている。
この映画で最も違和感を持つのは、集団的自衛権に関する部分である。
この路線を「空白のある部分」として当然実施しなければならないと論ずる五百籏頭真氏の論には納得できない。
私としては、この映画を見て改めて考
続き
三島由紀夫のアジ演説で感心することは「建軍の本義」に触れているところです。自公民とそのシンパが手っとり早く作った安保法制で仮に米軍の要請で自衛隊が米国が作った戦線、つまり西部戦線か東部戦線のどこかに派遣され死亡者が出たらアーリントン墓地に葬られることになる。そんなことで日本国民は納得するだろうか。「建軍の本義」は軍であればなくてはならないもの。中国軍の人民解放、米国の世界制覇精神、ロシアのスラブ魂、アラブのジハードに相当するものがなければならない。自公民は米国の要請で法を作ったが、我々にとっては幸い、弁証法的に見ても不発に終わらざるを得ないのです。
ここで、三島由紀夫のアジ演説に接して、改めて認識したことは自衛隊はあくまで自衛隊であって軍ではないということ。もし、自公民の都合で米国の戦場に赴くことがあれば、それは単なる傭兵か私兵ということになる。
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