p_fさん のコメント
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(
『 1984 年』( Nineteen Eighty-Four )は、イギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説。 1949 年刊行。スターリン体制下のソ連を連想させる全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描いている。
本来はソ連を意識して書かれた。
しかし、その状況は、安倍政権と極めて類似している。
全体主義的国家の中で政府が「2+2」は5と言えば、5になる、更に6と言えば6になる。
そしてある日突然、「2+2=5」から「2+2=3」になる。
この時、かつて「2+2=5」と言っていたではないか、はダメである。なんの躊躇もなく、「2+2=3」と言わなければならない。
この社会は党が管理している。党の幹部になっていく人は一定の知的水準があったはずだ。どうして、「2+2=4」と主張しないのか。
党が「2+2=5」と言っている時に、「2+2=4」ということは党から見ると犯罪だ
そう帰納されても納得することばかりです。孫崎さんが指摘された日本の上層部の有り様と瓜二つのことが私の会社生活でもごく日常的に起きています。
青色LEDの中村氏が、かつて発明した際の所属会社との係争を振り返り「日本の裁判所は公正さの追求より『お家』を守るのが第一。江戸時代から何も変わっていないのでしょう」との旨語っていました。
その通りでしょう。
併せて思い出すのが孫崎さんの「OHPプレゼン」のエピソードです。「エライ人」は支配する側、される側の線引きを常に意識している。
立場が逆転するような兆しを察すれば速攻で潰す。嫌がらせに屈服している姿を見たい。これです。
要するに上層部の意識はサル山のサル程度なのでしょう。
もしも日本国中が心の底から「原発賛成!TPP賛成!集団的自衛権賛成!」となったら、政府は立所にこれらすべてを廃止することでしょう。
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