Mythe et poemeさん のコメント
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昨日早稲田大学、大隈記念大講堂で「早稲田から安保法制を撃つ」ということで、講演会があった。
長谷部恭男、孫崎享、竹信三恵子、青井未帆 , 第2部 神田香織(講談「はだしの ゲン」<第3部>山口二郎・ 福山哲郎・田村智子・高田健というメンバーであった。 安保法制を巡る動きで、反対の中心人物が多く参加した。 自民党推薦の参考人として国会に出た長谷部恭男早稲田大学教授が「集団的自衛権違憲」 と述beたことで、一気に国民の中に、違憲反対の空気が広がった。
山口二郎早稲田大学教授は、市民運動を学者の立場から引っ張った。
福山哲郎氏は国会での安保法制論議の中で、民主党の核になり、最も論戦に貢献した。
高田健氏は戦争をさせない1000人委、総がかり行動の事務局的活動をした。
青井未帆早稲田大学教授は女性憲法学者として、違憲論を情勢の中に浸透させるのに貢献した。
大隈記念大講堂の定員
―――引用開始
権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。
権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。
中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。
ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。
ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。
―――――引用終わり
さすが辺見庸くらいになると、「われわれ」の内面にはあのドブの目をした男の影が棲んでいることを自覚している。そして、われわれが権力の「周縁」をなしていることを自覚している。
せめてこのくらいの認識がないと「議論」は成り立たないだろう。
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