名を正すさん のコメント
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今日、日本の国家が「民主主義国家」か、「法治国家」かが問われる状況にあります。
「民主主義国家」の点では国民の過半数が集団的自衛権に反対、安全保障関連法案の成立に反対しています。それを無視して強行に安保法制を採決しました。
「法治国家」であるかの点については
大森、宮崎、角田元内閣法制局長官が集団的自衛権を違憲ないし疑問と発言
山口(繁)元最高裁長官も「違憲」発言、
③憲法学者の約95%が違憲と述べています。
これらの点については、長谷部教授や青井教授が詳しく説明されるため、私は別の側面を話してみたいと思います。
そもそも集団的自衛権の本質は何なのか、日本を守るためか、米国のためか。
集団的自衛権は日本の防衛とは関係がありません。集団自衛権は、自衛隊を米国戦略のために使わせるシステムである。そのことを認識すべきです。
集団的自衛権は中国の脅威に対処するように
確かに政府は、そして多くの国民も中国の脅威を意識しています。しかし、その脅威の中身は、単なる軍事的脅威ではなく、実はかなり根深い屈折したもので、それは歴史的に醸成されてきた国民の根底にある隠れた複雑な意識です。
会田雄次という歴史学者(故人、元京大教授)が顔をしかめて語った言葉があります。「隣に中国というどうしようもない大国があり、歴史的にずっと日本人は劣等感を感じてきた」。少し世界史を学んだことがあれば、日本が中国からあらゆる分野で学び、文物や制度、そして文字まで一方的に受け入れてきたと言うことは自明のことです。
日本が中国を凌駕できたと思えたのは、明治以降の100年ぐらいの間です。それも、中国文明から西洋文明にいち早く「乗り換えた」結果です。やっと、長年劣等感を感じてきた相手より上位に立てると思えたのに、今また中国が列強の支配から脱して元の大国に戻りつつあること、これこそが日本人の根底にある本当の危機感、中国に対する脅威の本質です。日本人が中国に対して感じる脅威は、単純なものではありません。アメリカの、韓国の、東南アジアの、日本以外の国々が感じる中国に対する脅威の意識は、日本のそれとは質が違うのです。
この思いは、特に高度成長を生きて来た団塊の世代以上の、特に男性に多いようです。石原慎太郎などはその代表です。彼の中国(彼は支那と言いますが)に対する言動は、まさに劣等感の裏返しです。秀吉に見られる、大陸に対する劣等感と憧れ、まずこの病の自覚から始めなければならないでしょう。根は深いのです。日本は日本の良さや優位性を知ること、大陸国家である中国に妙なライバル心を燃やして、背伸びする必要などないのです。まして、中国に対するのに、アメリカの虎の威を借るなどは、ますます日本人の自尊心を傷つける結果になります。
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