• このエントリーをはてなブックマークに追加

p_fさん のコメント

userPhoto
p_f
孫崎さんのこうした感性は分かる人には一読で分かりますが、分からない人は百万回読んでも分からないでしょう。
かつて、とある人が「息子にご飯茶碗に飯粒を残してはいけない」と教えるにしても、大学生になってから初めて教えるのでは手遅れだ、「何故たった一粒残すのがいけないのだ?」と不毛な言い合いになるだけ-と語っていました。そして、この国では孫崎さんが好ましいと思う生き方を教える、そのように育てるケースが激減していると思います。先日たまたま見ていた小沢氏の記者会見動画で野党共闘が進まない状況に、日本人は目の前に危機が迫らないとなかなか本気にならない、元来「一夜漬け」が得意な国民性-云々の件がありましたが、それは私には「本気で人を育てようという意識が極めて希薄な国民性」という気がしています。
サイドバーにあったツイート絡みで視聴した蓮池透氏の記者会見では帰国された弟の蓮池薫氏が例えばレストランで食事をすれば「税金でお食事できていいですね」などと言ってくる人たちが少なからずいたそうで、堪りかねてそうした支援金、寄付金の類を一切断るようになった旨語られ、唖然としました。
そういう しょうもない人格に育ってしまう人たち、これも「まともに育てよう」という意識の低い社会の特性ならではでしょう。
No.6
108ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
  ウィリアム・ワーズワース は 1770 年から 1850 年まで生きた英国詩人である。 “低く暮らし、高く思う”は、英語では、 Plain living and high thinking で、原詩の該当部分の訳は次の様になる。 「質素なる生活、高遠な思想は既になく 昔ながらの善き主張の飾り気なき美はさり、われらの平和、われらの敬虔に充つる天真、家法となる宗教もすべて失せたり」 これは、(『ワーズワース詩集』   田部 重治 ( 翻訳 ) 、岩波文庫)の「ロンドン一八〇二年(一)に出てくる一節である。  この部分は日本の多くの知識人に引用され、中野孝次著は次の形で言及している。 「わたしは話を求められるたびにいつも「日本文化の一側面」という話をすることに決めて来た。内容は大体日本の古典――西行・兼好・光悦・芭蕉・池大雅・良寛など――を引きながら、日本には物作りとか金儲けとか、現世の
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。