ウィリアム・ワーズワース は 1770年から1850年まで生きた英国詩人である。
“低く暮らし、高く思う”は、英語では、Plain living and high thinking で、原詩の該当部分の訳は次の様になる。
「質素なる生活、高遠な思想は既になく 昔ながらの善き主張の飾り気なき美はさり、われらの平和、われらの敬虔に充つる天真、家法となる宗教もすべて失せたり」
これは、(『ワーズワース詩集』 田部 重治 (翻訳)、岩波文庫)の「ロンドン一八〇二年(一)に出てくる一節である。
この部分は日本の多くの知識人に引用され、中野孝次著は次の形で言及している。
「わたしは話を求められるたびにいつも「日本文化の一側面」という話をすることに決めて来た。内容は大体日本の古典――西行・兼好・光悦・芭蕉・池大雅・良寛など――を引きながら、日本には物作りとか金儲けとか、現世の
コメント
コメントを書く孫崎さんの助言、私たち高齢者にもありがたいお話ではないか。
世の中、安倍首相はじめほとんどの政治家、マスコミ、官僚、財界、教育者、親の立場で、「一人の人間としていかに生きるべきか」を、自分の言動を通じて若い人たちに話のできる人がいるだろうか。安倍首相などは、とても、若い人たちの手本にならず、マスコミの社説なども次元が低すぎて、若者から批判の対象になっても、見習うべきところが極めて少ない。このような思想的荒廃が進んでいるとき、孫崎さんのような、若者に対する問いかけは、本当にうれしいし、感謝です。
私の理想は、物質を追い求める競争社会でなく、人間として生きていくための福祉を充実して、他人をお互いに思いやる共生社会を目指してほしいのですが。生活面の安定が得られるなら、消費税が高くなってもかまわないという発想ができないと、競争社会では、多くの人が、福祉というより、貧困救済の対象になり、社会が荒廃していくばかりです。
文章の表現には気をつけてください。
あまり綺麗事やご立派だと思わせるようなことばり書くと、
読者から反感を買うか、信用を失います。
孫崎先生は、一般人とは異なる「特別な存在」なのかもしれませんが、
一般の民間に勤める方々は、自分と家族を養うことで精一杯であり、
生活が保障されている公務員(官僚)とは違うのですから。
仕事に対して、出世や金だけではなく、生き甲斐や、自己の成長、
達成感を見出している方々にも失礼です。
それから、一度名前が売れると、「ジェネラリスト」に転向しようと
する専門家が多くおられますが、これは民間の仕事でもそうですが、
「専門分野」を疎かにする人間は、信用されなくなります。
どのような事情があろうと、伝えるべき情報は正確に伝えること。
創価学会・池田大作会長の名言。
「他人の不幸の上に、自らの幸福を築いてはいけない」
なんと素晴らしい皮肉だろう。
ワーズワースの言葉、とても素晴らしいですね。
カーライルの「EVERLASTING NO」、ドストエフスキーの「悪霊」、エジプトの原理主義者サイド・クツブの「道標」にも同じような精神と行動が示唆されています。しかし、若いエリートたちにはそれらはなかなか浸透しません。サラブレッドの競走馬に競争を断念させるのは本当に難しい。
ではあるけど、孫崎先生の「小説外務省」に描かれている西京寺大介君みたいな生き方は可能だと思うのです。恰好良い勤め人の行動とは西京寺大介君のそれだと私は思っています。
世の中、正義感だけでは理念を達成できない現実が多々ある。
「清濁併せ呑む」ことの必要性が理解できないのは、
器量の小さい人物か、社会経験が未熟な大人だけだろう。
権力という山を登るにしろ、理念という山を登る山にしろ、
山頂へ至るルートは決して一つだけではない。
その真理が理解できないことは、視野が狭いことだとも言える。
>>4
あなたのお話に異論はありません。孫崎さんが不用意だといえば不用意だといえますが、時代をリードする若い政治家、マスコミ言論人、官僚、企業のトップ、教育者などに説いていると思えば納得できるのです。「衣食足りて礼節を知る」であり、安定した生活が営まれていない人にとっては、反発したくなる内容かもしれない。話って難しいと思います。
孫崎さんのこうした感性は分かる人には一読で分かりますが、分からない人は百万回読んでも分からないでしょう。
かつて、とある人が「息子にご飯茶碗に飯粒を残してはいけない」と教えるにしても、大学生になってから初めて教えるのでは手遅れだ、「何故たった一粒残すのがいけないのだ?」と不毛な言い合いになるだけ-と語っていました。そして、この国では孫崎さんが好ましいと思う生き方を教える、そのように育てるケースが激減していると思います。先日たまたま見ていた小沢氏の記者会見動画で野党共闘が進まない状況に、日本人は目の前に危機が迫らないとなかなか本気にならない、元来「一夜漬け」が得意な国民性-云々の件がありましたが、それは私には「本気で人を育てようという意識が極めて希薄な国民性」という気がしています。
サイドバーにあったツイート絡みで視聴した蓮池透氏の記者会見では帰国された弟の蓮池薫氏が例えばレストランで食事をすれば「税金でお食事できていいですね」などと言ってくる人たちが少なからずいたそうで、堪りかねてそうした支援金、寄付金の類を一切断るようになった旨語られ、唖然としました。
そういう しょうもない人格に育ってしまう人たち、これも「まともに育てよう」という意識の低い社会の特性ならではでしょう。
ありふれた概念かもしれないが本当のことだと思う。お金も名誉も手にしている人がいうのだから説得力もあると言うものだ。そしてこういう感性は日本人に限らないと言うのもあらためて思い知らされる。昔「ハゲタカ」というNHKのドラマのエンディングにエミリーブロンデの「riches I hold light esteem」という詩が流れていた。あれを見て、金も名誉も握っているのが権力なのだと言うことを思った。もちろんそんな範疇を飛び抜けた天才はいると思う。でもそれを追い求めるものは権力に支配される。そんな気がした。ただ我々はまだその世界にいて、そこから抜け出てはいない。ただ、例えば100年後に人間の価値観が変わって、もっと違うものを大切だと考えることが当たり前になったとすれば、今のこの世界こそが本質を失った空虚な世界だと言うことになるのだ。僕はその世界はくると思う。だから、道は違ってもいいが、其の場所を見つめて行動して欲しいとは思う。
younghope さんへ
消費税は互助精神で私も了解できます。しかし、大企業の蓄財はやはり問題ではないでしょうか。
>>8
大企業に対する優遇策はかなり多い。輸出向けに使用した部品にかかっている消費税が、納入業者でなく、大企業に還元される。何のことはない、上納金を収めたようなものです。お話の利益蓄財は、デフレの時から、契約社員を増加することによる人件費の削減によって、多額の内部留保を積み増してきた。本来、従業員と投資家に還元すべきであるが、投資家のほうは、配当とか様々な特典を設けているが、従業員には,わずかな還元しかしていない。税に対する意識変革制度変革が、国家、企業に求められているのではないか。
孫崎さんの話に何の不自然なところもなく、全うな人生論としか聞こえない。
p_f氏の言うとおり、分からない人には分かるまい。
全うなことが「少数派」になり、キチガイが幅を利かすやな世の中だ。